maruの徒然雑記帳


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恋夢幻想〜32〜






 そんな大神のあまりに無防備な背中を見ながら、叉丹はなぜか次の攻撃を繰り出すことができなかった。

 自らの力があやめを死に至らしめたことーそのことは氷のような叉丹の心に小さからぬ波紋を引きおこしていた。


 ーこの気持ちはなんだ?


 叉丹は自らに問いかける。

 理解不能な感情に叉丹の心は混乱する。


 ーまさか動揺しているのか?私は…あの女の死に


 向けられた視線の先にあるのは一人の女。

 愛する男をかばって死に、その腕に抱かれ永遠に眠る、一人の愚かな女…。

 もう二度と、目を覚まさないー


 「ー殺女」


 声にならないくらいの声で呼んだその名の響きは、不思議なほどの揺らぎを叉丹の心に与えた。

 その感情をなんと呼べばいいのか今の叉丹には分からない。

 かつての彼ー山崎真之介と呼ばれていた頃ならば、あるいは理解できていた感情なのかも知れないが。


 (あ・や・め)


 今度は声に出さずにその名を呼ぶ。

 心の中で響くその音は、捨て去ったはずの過去を呼び覚ます。

 遠くで揺らぐその記憶をつなぎ止めようと叉丹はそっと目を閉ざす。


 (人であった頃の私はいったいどんな声音でお前を呼んだ?どんな思いでお前を呼んでいたんだ?)


 だが、答えがでないままに、彼の思考は断ち切られる。通路の奥から漏れ出てきた、強い光によって。

 それは合図だ。彼が長い間待ち望んでいたー。

 霊子砲の充填が完了したのだ。

 それは待ちに待っていたはずの瞬間だった。


 ゆっくりと目を開ける。禍々しいまでの不吉な光に焼かれた目を細め、彼は二度、瞬きをした。

 自らの中に残った人の心を全て切り捨て、一人の悪魔となり果てるために。


 そして大神もまたその光に自らを取り戻していた。

 なすべきことを思い出し、大神は冷たくなりはじめたあやめの体をそっと床の上に横たえた。

 その髪に触れ、頬に触れーぎゅっと拳を握りしめ、立ち上がる。

 大神の瞳はまだ希望を見失ってはいなかった。


 「もう、終わりだ。お前は間に合わなかった」


 言い放たれた叉丹の言葉ー。大神はゆっくりと腰の剣を抜きはなった。その瞳に、叉丹の姿を映しながら。


 「いいや、まだだ。まだ終わらない。俺が終わらせない!」


 叫び、駆けた。生身のままで。二本の鉄の牙だけを頼りに。


 「愚かな…」


 哀れみすら感じさせる眼差しを迫る大神に注ぎながら、叉丹はつぶやいた。

 霊子甲冑をまとわない脆弱な存在が何をなせるというのだろう。


 何もできはしない。


 あの男が頼みにする武器は、この肉体に毛ほどの傷も付けることができないに違いないー確信にもにた思いを抱きながら、叉丹は大神を見守った。

 そしてよけることすらせずに、それが自らの胸に届くのを待った。

 その剣が自分を傷つけることはないと、堅くそう信じて。


 しかし、その思いは大きく裏切られた。

   ずぶりと、鉄の刃が肉に沈む感触。

 寸分の違いもなく差し貫かれた心臓がその痛みを持って、自らの主ににそのことを伝える。

 馬鹿なー大きく目を見開き、叉丹は喘ぐように息を継いだ。


 「な…ぜだ」


 言いながら叉丹は間近に見る大神の体が白い燐光を放っていることに気がついた。

 唇の端をゆがめ、皮肉な笑みを浮かべる。


 「−霊力を、込めたのか」


 叉丹を見返した大神の瞳が、その問いを肯定していた。

 叉丹は乾いた笑いを漏らし、小さくせき込んだ。

 人と同じ真っ赤な血がこぼれ、唇をぬらす。

 だが、それでも叉丹は笑うことをやめず、せき込みながらも笑い続けた。

 こんなことで裏をかかれるとはなーそのことが愉快でたまらなかった。


 (どうやら私はお前を甘く見すぎていたようだ、大神一郎)


 彼は低く笑いながらすっと後ろに身を引いた。

 ずるりと二本のくさびが抜け落ち、血に濡れたからだが頼りなく揺れる。

 人は体内の体液を三分の二失うと生命活動を続けられないと言うが、魔のものとなり果てたこの身はどうなのだろう。

 死は等しく自分の身にも訪れうるものなのだろうか。

 そんなふうに思いながらも、叉丹は自らの死がそう遠くないことを感じていた。


 「私はもうじき死ぬ…」


 自分自身に言い聞かせるように、大神にその事実を伝えるように叉丹は言った。

 だが見返す大神の目に喜びの色はない。

 そこに浮かぶのは痛みだ。目の前で死んでいこうとする存在に対する純粋な思い。

 そこには愛する人を殺された怒りも憎しみもなくー大神一郎という男の不思議な大きさを感じさせられた。

 だからこそ残念だった。もうすぐこの男は深い絶望を味わうことになるだろう。自分の力不足に、その不甲斐なさに。

 そうして落ちた闇の淵でこの男は何を選ぶのだろう。希望か、絶望かーそれを見届けられないのがただ残念だった。


 「だが、お前はやはり間に合わなかったのだ。大神一郎」

   「−どういうことだ」

 「私が死ねば全て終わるとでも思ったか」


 図星を指されて大神が押し黙る。

 わかりやすい男だと、叉丹は楽しそうに笑った。

 そうしているうちに叉丹がいわんとしたことにやっと理解が及んだのだろう。

 叉丹が見つめる中、大神の顔色が見る見るうちに変わっていくのが分かった。


 「まさか…」

 「その、まさかだ。私が死んでも霊子砲は止まらない。今日この日、帝都は地上から消滅する」

 「……!!」

 「世界は浄化されるのだ」

 「…そんなこと、させてたまるか!!」


 憂いすらも感じさせる叉丹の声に背を向け、大神は走った。

 通路の奥ー霊子砲があるはずのその場所へ。


 「無駄なことをー。もう、間に合いはしない」


 言いながらも、痛む体を引きずるように叉丹もその後を追う。

 そうして通路の奥にたどり着いたとき、叉丹はその目で信じられないものを見た。

 強大な霊力の砲弾を今にも発射しようとしている霊子砲の砲門に向かってくる巨大な影。

 空中戦艦『ミカサ』ーそれが何をしようとしているのか、そのことに気づいて愕然とする。


 (体当たりをするつもりか!?)


 そんなことをすればどうなるか、分からぬ訳でもあるまいに。知っていてもなお、それをなそうというのかー。

 そんな潔い男を叉丹はー否、山崎は一人しか知らない。


 「−米田か」


 そのかすかなつぶやきに答えるように、ミカサはなんの迷いもなく真っ直ぐにつっこんでくる。

 それを見つめる叉丹の口元に我知らずのうちに笑みが浮かんでいた。







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