maruの徒然雑記帳


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恋夢幻想〜31〜






 暗やみに包まれた空間で、彼はただ一人、そのときを待っていた。

 待つ時間は決して短いものではなかったが、それすらも楽しんでいる自分に気づき、彼はゆがんだ笑みをその口元に浮かべる。

 何かを待つことをこんなに楽しいと思ったのは久しぶりだった。


 ーもうすぐだ。もうすぐやつが現れる。


 隠しきれない興奮に輝く瞳はじっと通路の奥をただ見つめている。

 やがて、そこに一つの影が浮かび上がった。白く輝く美しい機体。

 それは迷うことなく真っ直ぐにこちらを目指してやってくる。


 ー大神一郎


 声に出さずにその名をつぶやく。

 彼の心を引きつけてやまないその存在は一歩一歩着実に近づいてくる。

 迷いのない足取りーあの黒く澄んだ瞳がこちらを見つめているのがなぜか見える気がした。

 その瞳に宿るのは怒りだろうか。憎しみだろうか。それともー。


 「来たぞ」


 答えがでないうちに、大神の声が彼の耳に届いた。

 張り上げているわけでもないのに不思議によく通る声。

 その声にはへんな気負いも、力みもない。


 「ずいぶん早かったな。もう少しかかると思ったが」


 そう返しながら叉丹は、大神の足止めに置いてきた存在のことをふと思い出した。

 大神がここに現れたと言うことは、当然あの女は死んだのだろう。

 その死が哀しいわけではない。はっきり言ってあの女は自分にとってとるに足らないものでしかないのだ。

 だがなぜか気になった。あの女はどんなふうに死んだのか。そして大神一郎は愛する女をどう殺したのかー。


 愛するーその感情は今の叉丹には理解不能なものでしかなかった。

 かつてはー人であった頃は自分にもそんな感情があったのだろうと思う。

 今となってはその当時の記憶も想いもあやふやではっきりしないが、そのかすみがかった記憶の向こうで、自分にも暖かな思いを抱く相手がいたことをうっすらと覚えていた。

 だが今の自分にはそのことがなんの意味もなさないと言うことはよく分かっていたし、そのことを淋しく思ったり不満に思ったりしたことは一度だってない。

 過ぎ去った時の中で確かに愛していたのであろう女ー殺女を前にしても叉丹の心が揺れることはなかった。

 人でなくなるということはそう言うことなのだろうと、そう思っていた。


 だが、あの女はー殺女はそうはならなかった。

 一度死に、降魔として蘇った後も、その心のどこかにあの男への思いを残していた。

 主への忠誠心と、あの男への思いの間で苦しむ姿はそれなりに楽しい見物だったし、興味深くもあった。

 だがそれだけだ。それなのになぜーなぜこんなにも気になるのか。


 「あれはどうやって死んだ?」


 自分の思いに抗しきれず、気づいたときにはそう尋ねていた。


 「−あやめさんのことか?」


 大神の問いかけに叉丹は答えを返さない。

 だが沈黙はそのまま大神への答えになった。


 「なぜそんなことを気にする?」


 重ねて問いかけた。

 それにも答えず叉丹は大神を見る。

 その答えは自分のほうがしめして欲しいくらいだった。

 自分の中に理解できない感情が渦巻いていることに、叉丹はとまどい苛立ちを感じていた。


 自分を見つめてくる叉丹の途方に暮れた子供にような瞳に、大神は混乱にもにた思いを抱く。

 なぜそんな顔をするのかと。

 今大神の目の前に立つその男はは限りなく人間に近く見えた。

 大切な人の存在を案じる、そんな一人の男に。


 「あやめさんは…」


 本当はまだ彼女を愛してるんじゃないのかーそう問いかけたい気持ちを無理矢理押し殺してそう言いかけた大神を叉丹の声が鋭く遮る。


 「やめろ!!」


 大神の目が静かに叉丹を見た。

 その目の前で彼は端正なその顔に自嘲の笑みを張り付けたまま、苦悩する男の顔から血も涙もない悪魔の顔へと再び戻っていく。

 その変化を大神は無言のまま悲しく見守った。


 「ー聞いても仕方ないことだ。私には関係ない」


 殺女の生も死も自分には関係ないことと、そう言いきった叉丹は、冷たい眼差しを大神の上に据える。

 その強い眼光に大神も気持ちが引き締まるのを感じた。

 一本になった腰の剣を握り直し、大神もまた叉丹をきつくにらみ据えた。


 「重要なことは二つだけだ。そうだな?」

 「あぁ」

 「私が勝利し、お前が敗北して、全てが闇に沈むかー」

 「あるいは俺が勝ち、お前を滅ぼし、そして光にあふれた世界を得るかー二つに一つ」


 それを聞いた叉丹が不敵に笑う。


 「いや、違うな」


 大神はあえて口を挟まない。黙ったままで先を促した。

 叉丹は不吉に唇をつり上げた。


 「死ぬのはお前だよ、大神一郎。お前では私に勝てない」


 言い切る叉丹を大神は不思議に落ち着いた気持ちで見つめた。

 そうかも知れないと思う。

 叉丹の力は強大だ。それは今こうして対峙しているだけでひしひしと伝わってくる。

 確かに俺では役不足かも知れないー大神は自分の力量不足を素直に認めた。

 万に一つも勝つ可能性はないのかも知れない。でも、それでも、あきらめなければ可能性は消えない。


 (隊長…)


 そう呼ぶマリアの声が聞こえた気がした。大神は知らず知らずのうちに微笑みを浮かべていた。

 目の前にいる敵は強大で、自分はただ一人、傍らに仲間の姿はない。

 そんな絶望的な状況で自分を支えてくれる言葉が誰のものであるかーそのことに気がついて。


 (マリア…)


 信じれば必ず勝てるーこれは君の言葉だったね。

 こんな時でも君は俺の背を押してくれるー大神は彼女を想い、そして叉丹の姿を真っ直ぐに見た。

 強い眼差しで彼が見つめるのは希望だ。そこに絶望の影などかけらもない。


 「いや、俺は負けない。お前を倒し、闇を払い、俺は全てを光の中に戻してみせる!!」


 言い放った大神を、叉丹は楽しそうに見つめた。

 それでこそ殺しがいがあると。

 絶望し、全てをあきらめた相手を叩きのめしたところでなんの面白みもない。だがー

 少し長く遊びすぎたようだー思いながら、叉丹は実に残念そうに大神を見つめた。

 霊子砲の稼働が可能になるまで後わずか。

 それまでには彼を始末して置かねばならないだろうから。


 「−残念だよ、大神一郎」


 愁いをも含んだ声で叉丹は言った。

 お前との対決は実に楽しかったー右の手のひらに凝縮した力を握り込み、叉丹は唇の端をかすかにゆがめた。

 この手の一振りでで全ては終わる。


 (せめてもの慈悲だ。苦しまぬよう、一瞬で終わらせてやろう)


 叉丹はすっと目を細め、ゆっくりと右手を振り上げた。

 そしてー


 「さらばだ。大神一郎…」


 そして全てを断ち切るように、その手は振り下ろされた。

 迫り来る力の奔流。

 大神は目を見開き、ものすごい勢いで近づいてくるそれを見つめた。

 よけるのは間に合いそうになかった。


 (くそっ。死ぬのか、俺は。こんな所で、こんなにもあっけなく…)


 そう、思ったときだった。

 横合いから小さな影が飛び出し、まるで大神をその背にかばうように光の前に立ちふさがった。

 次いで巻き起こる閃光と旋風。

 そのあまりのすさまじさに大神は反射的に目を閉じていた。

 そして再び目を開けたとき、そこには信じられない…いや信じたくない光景が広がっていた。


 焼けこげたような空間。

 そこに一人の人が倒れている。

 ここにはいないはずのその人を大神は信じられない思いで見つめた。


 「あやめさん…?」


 震える声でその名を呼んだ。

 そして次の瞬間、大神は光武から飛び降りて彼女をその腕の中に抱き起こしていた。


 ひどい状態だった。

 人であれば即座に蒸発してしまったであろうその光をその身に受けたのだ。無事でいられるわけがない。

 全身に及ぶやけどーそれは生きているのが不思議なくらいひどいものだった。かすかに上下する胸だけが彼女が生きていることを伝えている。


 「あやめさん…あやめさん!!」


 必死の思いでその名を呼ぶ。

 その声に答えるように彼女の瞼が震えーうっすらと彼女の目が開く。

 そしてその目が自分をのぞき込む大神の顔を認めた瞬間、彼女は嬉しそうにー本当に嬉しそうに微笑みを浮かべた。


 「−良かった。無事ね?大神君」

 「……っ」


 言葉にならない思いに大神は唇をかみしめた。

 堪えきれない涙が頬を伝い彼女の上に落ちる。彼女はそんな大神に向かって震える手を伸ばした。

 だが力が入らないのか、その手は大神に届く前に止まってしまう。

 大神はその手を取り自らの頬に押し当てて、声を殺して泣いた。


 「…どうして」


 俺なんかを?−その問いかけにあやめが困ったように笑う。


 「あなたに、死んで欲しくなかったの…」


 大神は何も言えずに目を閉じた。

 声にならない言葉が胸の中を渦巻いている。

 それは俺のせりふだ、と。俺の方こそあなたを守りたかったのに、と。

 そんな大神をあやめは愛おしそうに見つめる。

 伝えたいことはたくさんあった。だが全てを伝えることはできそうになかった。

 だから彼女は一番伝えたいその言葉だけをそっと唇に乗せる。


 「大好きよ、大神君」

 「…俺もあやめさんが大好きです」


 大神は微笑んだ。

 それを見たあやめがふわりと透明な笑みを浮かべーそして静かに目を閉じる。

 頬に押し当てたままの彼女の手が力を失い、彼女の死の重みを大神の手に伝えた。


 「−あやめさん?」


 彼女の死を信じ切れないまま、その名をつぶやく。

 しかし彼女の唇はもう大神の声に答えることはなかった。

 食いしばった歯の隙間からうめき声を漏らし、きつくきつく彼女の体を抱きしめる。

 その背中が堪えきれない慟哭に震えていた。







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