maruの徒然雑記帳


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花の名前〜24〜






 夜の酒場は酒と煙草の匂いと男達の喧噪にあふれていた。

 扉の向こうの異空間に、ほんの一瞬足を止めた大神の横をすり抜けるようにして、少女はまるで臆することなく足を踏み入れる。

 そんな彼女を大神は驚き混じりの眼差しで見つめ、それから思い直すように小さく首を振った。


 ここは酒場だ。決して彼女のような年齢の少女が出入りしていい場所ではなく、慣れ親しむべき場所でもない。

 だが、それでも、ここもまた彼女の生活の一部なのだということを、大神は思った。

 彼女の背が、扉の向こうへ消える。

 振り返ることなく消えたその背を追うように、大神もまた暗い店の中へと足を踏み入れた。


 とたんに突き刺さるたくさんの眼差し。

 薄暗い店内を見回し、軽く目を見張る。

 店中の男達がマリアと大神を見ていた。

 彼らはまず苛立ちと確かな畏怖を込めた視線をマリアへと注ぎ、それから大神の方へと目を向ける。

 瞳に浮かぶ興味深そうな、訝しげな光を隠そうともせずに。


 そんな眼差しを大神は戸惑いながらも真っ直ぐに受け止めた。

 彼らを見返すその瞳はどこまでもひたむきで強い輝きに満ちている。


 迷いなく返される眼差しに、今度は荒れくれ男共が戸惑う番だ。

 彼らは一様に面食らったような顔をして、それからばつが悪そうに目を逸らす。

 そして手に持つグラスの中身を再びあおり始めるのだった。


 そんな彼らを不思議そうな顔で見回していた大神を、少し先でマリアが呼ぶ。

 慌てて駆け寄る大神を待ち、彼女はカウンターの向こうの初老の男性に早口の英語で話しかけた。

 気むずかしそうなその男性は、上から下へとじろじろと大神を眺め、それからむっつりと小さく頷いた。


 マリアが再び彼に何かを話しかけ、彼もまたマリアに何事か答えている。

 早口で交わされる言葉は、大神にはちんぷんかんぷんで、だが、それでも何とか二人の会話を聞き取ろうと耳をこらしていると、不意にマリアが大神の方へ向き直って話しかけてきた。もちろん今度は日本語で。


 「雑用係としてなら使ってもいいと言ってるわ。英語は分かるわね?」

 「あぁ。なんとかね。あまり早口でなければちゃんと聞き取れると思う。話す方も日常会話程度なら大丈夫だよ」

 「そう…。じゃあ、私は隅のテーブルにいるわ。何かあったら声をかけて。あとのことはマスターが指示してくれるから」


 そう言うが早いか、彼女は大神をその場に残して店の片隅の定位置へと行ってしまった。

 大神は彼女の背を見送り、それからカウンターの向こうからじっとこちらを見ているマスターの方へ向きを変え、小さく頭を下げた。


 『一郎といいます。よろしくお願いします』

 『ま、せいぜい頑張んな。うちの客は気性が荒いのばっかりだ。なめられんようにするんだな』


 そんな言葉に神妙に頷く大神を見て、強面のマスターはにやりと笑う。

 そして、まずは皿洗いからだと、大神をカウンターの内側へと招き入れた。







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