maruの徒然雑記帳
花の名前〜1〜
目を覚ますと、そこは見慣れた帝劇の俺の部屋ではなく、据えた匂いの立ちこめる薄暗い路地裏だった。
どこだろうー薄くもやのかかった頭で考えるが、答えはでてこない。
ただ身動きしようとすると体中が酷く痛んだ。どうやらけがをしているらしい。
何か事故にでも遭ったのかなーそんなことを思う。
そうして浮かび上がってきたのは実験好きな眼鏡の隊員、紅蘭のこと。
彼女の顔を思い浮かべたとき、なぜ自分がこんな目にあっているのか、その経緯をはっきりと思い出していた。
その日、帝国歌劇団は久しぶりの休日だった。
空は晴れ渡り、絶好のお出かけ日和だったが、日頃の疲れもあり、帝国歌撃団花組隊長大神一郎は、ゆっくりと惰眠をむさぼることを決め込んでいた。
のんびりとした、いい休日になるはずだった。
そう、部屋に響く、あのノックの音が聞こえてくるまでは。
その音は唐突に、まどろむ大神の耳に飛び込んできた。
夢の世界から無理矢理に呼び起こされた大神は、寝ぼけた声で突然の訪問者に答える。
「…誰だい?」
眠かった。
できることならこのまま再び眠りの中に戻ってしまいたかったが、そう言うわけにも行くまい。
もしかしたら隊員の誰かが何か相談事にきたのかも知れないしー隊長としての責任感を奮い立たせて大神はくっついて離れようとしない瞼を無理矢理にこじ開けた。
「大神はん?ちょっとええやろか?」
突然の訪問者は紅蘭だった。
いいかと問われれば、気のいい大神のこと、否と答えられようはずもない。
嫌な予感がしなかったと言えば嘘になる。
今までも何度も今回と同じように呼ばれて彼女の発明品の実験台になってきたのだ。
爆発に巻き込まれ、死にそうな思いをしたことも数え切れないほどだ。
はっきり言って彼女につきあうことは恐ろしい。
恐ろしいーが、だからといってむげに断ってしまうこともできない。
もしかして今日こそは、何か真剣な悩みあっての訪問かも知れないではないか。
そう思って人のいい大神はベッドを離れたがらない自らの体を叱りつけて起きあがる。
そしてそのままドアの方へと向かった。
ドアを開けるとそこにはにこにこと朝から元気な紅蘭の笑顔。
それはどう見ても悩みを抱えた人間の表情ではなかった。
半ば予想していたその状況に、やっぱりなー大神は小さく肩を落とし、力無い笑いをその顔に浮かべた。
「いや〜、良かったわ。大神はんがいてくれて」
心底嬉しそうな声。
その声を聞きながら、大神は無精せずにどこかへ出かけていれば良かったと、心の底から悔いていた。
だがその後悔ももう遅い。すでに大神は捕らわれてしまったのだから。
「…新しい発明品かい?」
観念してそう尋ねた。もう答えの分かり切った質問ではあったが。
「さすがは大神はんや。よう分かってるやないの」
ーほめられても余り嬉しくない。
思いはするもののそれを口に出す勇気もなく、ただ曖昧に微笑んだ。
もちろん紅蘭がそんな大神に気付くはずもなく、眼鏡の奥の瞳を輝かせて言葉を続ける。
「今回の発明はすごいで。世紀の大発明ちゅうやつやな。今度ばかりは大神はんもびっくり仰天間違いなしや」
紅蘭の発明にはいつだってびっくり仰天だよーこころの中だけでそうつぶやく。
うんざりした思いがないでもなかったが、それでもまあいいかと思えるのは、きらきら光る紅蘭の目のその奥にある真剣な輝きを知っているからだろうと思う。
そう、彼女はいつだって真っ直ぐだ。
彼女の発明はどんな時でも誰かのために考えられたもの。
人々に幸せをーそんな思いが根底にある発明品だからこそ、大神も実験につきあうことを嫌だと言うことはできない。
それに大神の犠牲もあながち無駄というわけではないのだ。
一度犯した失敗を、紅蘭が再び繰り返すことはない。
失敗を繰り返し繰り返し、彼女は自らの発明品をより完成されたものへと近づけていく。
そのことを知っているからこそ、大神は痛い目を見つつも紅蘭の実験につきあい続ける。
逃げ出したいと思うこともときにはあるが、それでも自分のささやかな犠牲が少しでも彼女の発明の役に立つならそれでいいではないかーそんなふうに思いながら。
先に立って歩き出した紅蘭の後を追うように大神もまた歩き出す。
いつもであれば真っ直ぐ紅蘭の私室へ行くのだが、今回に限り、彼女は自分の部屋へ向かわずに、階段を下りて舞台の方へと歩いていく。
不思議に思って尋ねると、今回の発明品は大きなものなので部屋にはおけず、舞台に置いてあるとのことだった。
昨日のうちに部品を運び、徹夜で組み上げたのだと、紅蘭は言う。
言われてみると眼鏡の奥の目が心なしか赤い。
連日の舞台で疲れているはずなのにと、なんだか心配になって、大神はその表情を曇らせた。
こんなふうに紅蘭は時々無茶をする。
一つのことに夢中になると、とたんに周りのことが見えなくなってしまうのだ。
そう言う性格だから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、たまにはそれを近くで見ている人間のことも考えて欲しいと思う。
余計なお世話かも知れないが、それでも心配せずにはいられない。
彼女は大切な仲間なのだから。
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