maruの徒然雑記帳


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恋夢幻想〜16〜






 静まりかえった部屋の中、大神はベッドに横になりいろいろなことを考えていた。

 花組のこと、帝都のこと、明日の戦いのこと、そしてーあやめのこと。


 大神は目を閉じる。

 そして隊員達の顔を思い浮かべた。

 あやめと戦うと言うことーそのことがみんなの心に大きな憂いを落としていた。

 それは大神も同じだった。


 ーあやめさんと戦うことなんてできるわけない。


 大神は思う。

 だがそれと同時に、同じくらい強く思うのだ。葵叉丹を倒さねばならない、と。

 帝都のためーそしてなによりも帝都にある大切な人たちを守るためにも。


 ー俺は戦わなくてはならない。


 だが、できるだろうかー大神は再びそう自問した。

 彼女を前にして、再び彼女をこの手に掛けることができるだろうかーと。

 彼女はもう降魔なのだと自分に何度も言い聞かせた。


 だが駄目なのだ。

 降魔だろうとなんだろうと、あやめがあやめであることに変わりはないーと、心がそう叫ぶ。

 どうしようもなかった。


 大神はきつく目を閉じ、両手で顔を覆った。

 あやめに会いたかった。どうしようもなく彼女に。

 彼女さえいてくれればどんなことだって怖くはないのにー。


 「あやめさん…」


 うめくようにその名を口にしたとき、大神の部屋の戸を誰かがたたいた。

 驚き、文字通り飛び起きた大神の耳に涼やかな声が届く。


 「−隊長…いますか?」


 マリアだった。

 こんな夜遅くに何のようだろうと不審に思いながらも、大神は心を落ち着けて答えを返す。


 「ああ、いるよ、マリア。鍵は開いてるから入ってくれ」

 「…失礼します」


 一瞬の間をおいて、音もなくマリアが中に滑り込んできた。

 わずかな憂いを含んだ深い緑の瞳に大神の顔を映しながら、マリアは夜遅くの訪問をわびた。

 大神は笑いながら気にする必要はないと首を振る。

 彼女に椅子を勧め、大神はそのままベッドに座り直した。


 そうして向かい合い、改めて尋ねた。何の用なのかと。

 マリアは頷き、持っていた酒の瓶を差し出す。

 いぶかしげな大神に、椿に頼んだでしょう、とマリア。

 その言葉に大神は、あぁと頷いた。

 そう言えばそうだった。いろいろなことがあってすっかり忘れていた。

 苦笑を漏らし、大神はそれを受け取ろうと手を出した。


 「すまないな、マリア。椿ちゃんに?」

 「−えぇ。後で渡して欲しいと頼まれたんです」

 「そうか。ありがとう。米田支配人には後で俺から渡して…」

 「隊長」

 「ん?」


 呼ばれて顔を上げると、マリアの目がまっすぐに大神を見つめていた。

 深い、全てを見通すような光をたたえてー。

 嘘はつかないでくださいーそんなふうに言われた気がして大神は、参ったなーと、苦く笑った。

 真剣な瞳…大神を本気で心配するその眼差しを前に、どうして嘘を突き通すことができるだろう。


 (できるわけ…ない、よな)


 観念して大神は小さく笑った。

 少しだけ、何かが吹っ切れたような笑顔で。


 「かなわないな、マリアには」

 「隊長…」

 「ごめん。心配かけて」


 マリアは、そんなことは何でもないと首を振り、柔らかく微笑んだ。

 そんなマリアの表情にどきりとして大神は心地よいとまどいを感じる。


 いつからだろうか。

 いつの頃からか、マリアは時々そんな優しい顔をするようになった。初めて会った時には考えられなかったことだ。

 大神は彼女と初めてあった日のことを思った。

 初対面のマリアは氷のような眼差しでじっと大神を見つめていた。

 そのとき大神は思ったものだった。果たして自分はここでうまくやっていけるのだろうか、と。


 ーいろいろなことがあった。


 少しだけ遠い目をして、大神は今までのことを振り返る。

 楽しかったこと、つらかったことー今となればその全てがいい思い出だった。

 そして思う。

 目の前にいるマリアのこと、花組の隊員達、帝劇のみんな、そして帝都に住むたくさんの人たちのことをー。

 彼らの幸せを守るためにも、負けるわけにはいかないーごく自然にそう思うことができた。


 だがー

 葵叉丹と戦い、勝利することーそれがどんなことを意味するのか、結局思いは再びそこへと帰り、大神は顔を曇らせる。

 葵叉丹と敵対することーそれはすなわち彼の降魔となった藤枝あやめとのさけられぬ対決を意味した。


 (あやめさん…おれは…)

 「隊長」


 唐突にマリアが大神を呼んだ。

 その声が、また堂々巡りを始めた思考の中から大神を現実へと呼び戻す。

 はっとしてマリアを見た大神に、彼女は持っていたグラスを突きつけた。

 突然のことに驚き、目を丸くする大神に無理矢理グラスを持たせると、これまたいつの間にか封を切られていた酒の瓶を掲げてマリアは言った。


 「飲みましょう、隊長」

 「マリア…」


 とまどう大神をよそに、まずは大神のグラスに透明な液体を注ぎ、それから勢いよく自らのグラスにも酒を注ぎ入れる。

 なみなみと酒のつがれたグラスを大神は困惑の表情で見つめた。

 そんな大神を見てマリアは微笑んだ。

 そして身を乗り出すようにして、大神のグラスに自分のそれをかちりとあわせて、一気に酒をあおった。


 「マリア!?」


 思わず面食らったような声を上げた大神に、マリアは朗らかに笑いかけた。


 「さぁ、隊長も飲んでください。今日はとことんつきあいますよ」


 笑顔で促され、大神も覚悟を決めてグラスをぐいっと傾ける。

 椿は大神が頼んだとおりに強い酒を買い込んできてくれたらしい。胃がかっと熱くなり、のども焼け付くようだ。

 軽くむせて涙目になりながら、大神はマリアを盗み見た。


 同じ酒を、しかもあんなに一気に流し込んだというのに、彼女はいつもと同じ涼しい顔のままだ。

 彼女は空になったグラスに再びなみなみと酒を注ぎ、そしてまた一息に飲み干した。

 そんなマリアは少しだけいつもの彼女と違って見えた。


 マリアらしくないー大神は思う。

 今までに彼女とじっくりと酒を酌み交わしたことがあるわけではないが、今日の彼女の飲み方はなんだか不自然な感じがした。

 そんな大神の心配そうな眼差しを感じたのか、マリアは大神と目を合わせ少し照れたように笑った。


 「飲みましょう、隊長。眠れないときはこれに限ります。−今日だけはなにも考えずにただ眠りたい、そんな気分なんです」


 隊長は違いますか?−そう言いながらマリアは大神のグラスに酒をつぎ足した。

 大神は苦笑を漏らしつつそれを受ける。


 ー全くその通りだった。


 余計なことを考えないですむ眠りが欲しくて大神は、椿に酒を頼んだのだ。

 目の前のマリアを見る。

 この一週間で彼女は少しやせたようだった。

 今思い返せば、食事の時間にマリアの姿を見ないことが何度もあった。

 そんなことにすら、今まで気づくことができなかったー。


 本当になんて情けない隊長なんだと、大神は思う。

 自分ばかりが苦しいと思っていた。

 自分ばかりが悩んでいるのだと勝手に思いこんでいた。本当はそうじゃなかったのにー。

 みんな苦しかったのだ。ただそれを表に出さないよう必死に隠していただけで…


 ー俺にはなにも見えてなかった…


 自分だけが苦しいと思っていた。自分だけが辛いのだと…。そんなこと、あるはずがなかったのに…

 グラスを傾け大量の酒をのどの奥に流し込み、大神は深く息をついた。

 無言のまま、マリアが減った分だけ酒をつぎ足す。

 大神も無言でそれを受けーしばらく言葉もなく二人はそうして酒を酌み交わしていた。

 しばらくして、なにを思ったのか、マリアが静かに昔話を始めた。

 それは彼女が帝都に来る前の話だった。


 「−あやめさんは、私の恩人なんです」

 「恩人?」

 「そう、恩人です」


 言葉を切り、大神を見たマリアは少しだけ微笑み、再び昔を思い出すように遠い目をした。


 「わたしがまだニューヨークにいたときのことです。あやめさんは帝国歌劇団の隊員を捜すために世界中を渡り歩いていました。

 私はそのころ、たちの悪い用心棒のような仕事をしていたんです。そんなときでした。あやめさんと出会ったのはー」


 大神は静かにマリアの話に耳を傾ける。

 そんな大神の前で、マリアは目を優しく細めて懐かしそうに昔話を語る。


 「恥ずかしい話ですが、当時の私は殺し屋家業に身を落とす一歩手前でした。

 戻れない道に足を踏み入れようとした私を、あやめさんが引き戻してくれたんです。そして私に帝国歌撃団という居場所を与えてくれた」

 「そうか。だからあやめさんが恩人だと…」

 「えぇ。あやめさんは私にとって特別な人なんです。だから、できることならあやめさんを取り戻したいーそう思っています」


 マリアのまっすぐな眼差しが大神を見ていた。大神はその眼差しに答えるように無言で頷く。

 俺も同じ気持ちだと、そんな思いを込めてー。

 だが、どうすれば助けられるのかー大神はまたしてもそんな堂々巡りの考えの中に落ち込んでいく。

 いくら考えても良い考えはいっこうに浮かばない。

 しかし考えているだけで何とかなるほど現実は甘くないーそのことは大神自身よく承知していた。


 大神は自問する。

 自分にあやめは助けられるだろうか。

 助けたい。助けたいと思う。でも…


 「隊長」


 その呼びかけに大神は顔を上げ、マリアを見る。

 マリアはひどく真剣な表情をして大神をじっと見つめていた。


 「隊長、私は…いえ、私たちは隊長を信じています。あなたとなら明日の戦いも負けることはないと、そう信じています。だから…」


 言葉を切り、マリアはグラスを持つ大神の手にそっと触れた。

 目と目を合わせたまま、マリアは言葉を続ける。


 「だから、隊長も、私たちを信じてください。明日、隊長がどんな決断をしようと、私たちは隊長を信じてついていきます」

 「マリア…」


 心強かった。

 その言葉はどんな励ましよりも大神に勇気を与えてくれた。

 しかしそれでも残る不安が声ににじみ出ていたのだろう。


 「大丈夫ですよ」


 と、マリアが笑った。


 「明日、私たちは必ず勝てます。あやめさんだってきっと取り戻すことができる。

 そう信じて、精一杯戦いましょう。そうすればきっと思いは叶う、私はそう信じます」


 そんなマリアの言葉に残っていたわずかな不安もきれいに吹き飛んだ。

 必ず勝てると、あやめを取り戻せると信じて戦うことー自分にできることはただそれだけなのだと、そう思うことができた。

 よけいなことを考えず、余分な心配をすることもなくー。

 大神は笑った。

 それは久々の、なんの憂いもない明るい笑い顔だった。

 そしてグラスを掲げる。


 「乾杯しよう、マリア。明日の勝利に。そして今夜はとことん飲み明かそう」

 「はい、隊長」


 嬉しそうに、にっこりとマリアが笑う。

 それを見て、きれいな笑顔だと、大神は素直にそう思った。






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