maruの徒然雑記帳


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龍は暁に啼く


第五章 第七話






 草原の風が鉄臭い、嫌な匂いを運んできた。

 それは血の匂いだ。まだ遠いが、かなり大量に流された、血の香り。

 ただの人ではまだ気付かぬであろうその匂いを敏感に嗅ぎ取り、雷砂は足を緩めることなく駆け続けながら、密かに眉をひそめた。

 何があったのか、ここからではまだ分からない。

 だが、この所、村の周辺で嫌な事件が立て続けに起こっている。

 旅芸人の一座の件、相次ぐ行方不明者……

 何かが狂い掛けているのだ。この世の理の何かが。

 頭の隅を、不安がよぎる。

 脳裏に浮かぶのは、幼く愛らしい、妹の様にも思っている少女の姿。

 間に合うだろうかー唇をきつく噛み、そんな事を思う。この血の匂いが、もしミルファーシカのものだったら……

 そんな考えたくも無い想像が胸を塞ぐ。

 まだ、10にも満たないのだ。神世に招かれるには早すぎる。


 匂いが、近付いてくる。

 もう少し行けば見えてくるだろう。

 ここまで近くに来て分かったが、漂う血臭の殆どが同種の獣のものだった。恐らくディンゴと呼ばれる獣のものだろう。

 ほんの少しだけ息をつく。安堵の息を。

 だが、安心しきるのはまだ早かった。

 獣の血の匂いが強すぎて、流石の雷砂にもその中に人の血の匂いが混じっているかどうかまでは判別出来なかったのだ。


 「ミルファーシカ……」


 どうか、無事でー祈るように彼女の名を唇に乗せ、雷砂は更に足を早めた。

 早く。少しでも早く。

 彼女はきっと、待っているに違いないから。

 最初に見えたのは草原をまだらに染める赤い色。

 やがて、その中に獣達の引き裂かれた抜け殻が見えて、そして……折り重なるように倒れる小さな人影が二つ、見えた。


 息を呑み、足を早める。

 視界の中、どんどん大きくなるその人影はどちらも動かない。恐怖に気を失っているのか、あるいはもしや……

 不吉な予感に恐怖が沸き起こる。失うことは恐怖だ。

 幼い頃、親もなく草原に投げ出された雷砂は、失う事を極端に恐れた。大切なものが自分の指の隙間から逃げて消えてしまう事を。

 恐怖に足がすくむ。

 あと少しで倒れた人影の元にたどり着く。だが、雷砂の足どりは徐々にその勢いをなくし、ついには止まってしまった。

 折り重なるようにうつぶせに倒れているから、まだ二人の顔は見えない。

 僅かに乱れている呼吸を整えるように足を止めたまま、ぎゅっと目を閉じた。

 祈るように。自分に言い聞かせるように。

 あの子はまだ生きている。早く助けに行けと。


 震える息を吐き出し、足を踏み出した。

 後ほんの数メートル。その距離がやけに遠く感じた。

 倒れた二人の、そのすぐ側に膝をつく。

 最初に見えたのは少女の顔だ。

 手を伸ばし頬に触れると、長いまつげがかすかに震えた。


 生きている。


 ほっと息をつき、少女を守るように意識を失っている少年の身体にも手を伸ばした。

 手に伝わってきたのは、生きている人間の暖かさ。

 見たところ、二人とも怪我はなさそうだった。

 雷砂は一つ頷き、二人が眼を覚ましてしまわないように、優しくその身体を抱えあげた。

 そしてそのまま、極力振動の無い様に、だがなるべく急いでその場を後にした。

 二人が眼を覚まし、血に染まった大地を再び目にしてしまうことが万に一つも無いように。



 「ロウ、周囲を警戒していてくれ。大丈夫だとは思うけど、今日はもうこれ以上、こいつらに怖い思いをさせたくないんだ」


 雷砂のその言葉に答えるように、大きな体躯を翻し、銀の狼が草の間に消えていった。

 その姿を見送ってから、地面に横たえた幼馴染二人に目を移す。

 二人はまだ眼を覚まさない。眠る二人の表情は穏やかで、雷砂は微笑み、その傍らに腰を下ろした。

 周囲に不穏な気配は無く、小さな泉は清浄な水をたたえている。

 ここは雷砂の住居から程近くにある、秘密の場所だった。

 あまり大きな水場でないせいか、大きな獣が来ることはほとんど無く、知っているのは雷砂とロウ、そしてシンファだけ。

 他の誰も、ここへは連れて来た事がなかった。


 「連れて来てやりたかったけど、草原は危険だからな……」


 優しく瞳を細めて、ミルファーシカの柔らかな髪を指先ですく。

 この泉は穏やかで美しい。時には可愛らしい小動物が姿を見せることもある。ここへ連れて来てやっていたら、きっと彼女はとても喜んだに違いない。

 だが、この年下の少女と会う時は、いつも自分の方が会いに行っていた。

 草原は危険だから、決して彼女の事を自分の住居に招くこともしなかった。

 しかし、村の者の中にも腕に覚えのある者は居て。

 彼らはたまに、他の村人に頼まれて雷砂の住居を訪れる事もあった。

 その内の誰かから、彼女は雷砂の住処の場所を聞いたのだろう。

 話した方も、まさか少女が一人で草原に入るとは思っていなかったに違いない。

 実際にはお供が一人居たわけだが、それでも無理な話だ。そのお供が武術や剣術のとりえの無いただの子供であれば尚更だ。


 「おてんばだとは思っていたが、まさかここまでとはな。ったく、あんまり心配させてくれるなよ」


 答えが無いことは承知しつつも、呟くような声で話しかけながら苦く笑う。

 そして、今度はもう一人の少年の顔を覗き込んだ。

 彼は、少し寝苦しそうに眉をひそめていた。悪い夢を見ているのかも知れない。

 小さな手が胸元をぎゅっと握り締めていた。


 「キアル?」


 名前を呼び、起こしてやろうと手を伸ばし、身を寄せた瞬間、不快な匂いが鼻をついた。

 それは生き物が腐っていく時の匂い。

 ほんのかすかな匂いだが、雷砂の鼻にははっきりと感じられた。

 怪我をしているのかと、目線で少年の身体を精査する。

 傷口が化膿してその匂いを発しているのかと思ったからだ。見た感じ、特に怪我をしている箇所は見つからない。

 手を伸ばし、少年の細い身体を探るが、それでも怪我をしている部位は無いように思えた。

 そうこうしているうちに、小さく身じろぎをし、少年がうっすらと目を開いた。

 目線がしばらく宙をさまよい、それから雷砂の上に止まる。


 「ライ……」

 「ん?」

 「来てくれたんだね」

 「ああ。遅くなって悪かったな。よく、頑張った」


 微笑みかけると、彼もほっとしたように控えめな微笑を見せた。


 「怪我は、無いか?」

 「うん。大丈夫」


 その答えを聞いて、雷砂はしばし考え込む。

 怪我が無いならあの匂いは何なのか。何かの移り香なのか。だとすればいったい何から匂いが移ったのだろう。


 「怒ってる、よね?ごめん、危ない事をして」


 考え込み、難しい顔で黙ったままの雷砂に不安を感じたのだろう。

 少年がおずおずとそんな言葉を口にする。

 眉を八の字にして、申し訳なさそうに見上げてくる幼さの残るその顔を見て、思わず安心させるように微笑んでいた。

 本当は怒らなければいけないのだろう。

 だが、心の底から反省している相手に向かって、むやみやたらと怒る気にはなれなかった。

 手を伸ばし、少年の短い髪をかきまぜる。


 「悪い事したって、わかってるならいい。もう、しないだろ?」


 少年の顔を覗き込み、再び微笑んだ。

 間近で見た綺麗な笑顔に思わず頬を染めながら、少年は雷砂の目を見返し、しっかりと頷いた。


 「うん。しない」

 「よし、いい子だ」

 「そうだ、ミルは?ミルも大丈夫?」

 「ん。ミルも無事だよ。お前がちゃんと守ってくれたおかげだ。な、一体何があった?オレが来るまでの間に」

 「うん。それが……」


 その時の事を思い出したのか、少年は僅かに表情を曇らせ、それからゆっくりと言葉を紡ぎだした。



 「黒い、獣」

 「うん。あっという間だったよ。ほんとに、あっという間だった」


 あの時の光景が目に浮かぶようで、キアルは青い顔を更に青くした。

 そんな彼を気遣うように見ながらも、雷砂は更に問いを重ねる。


 「そうか。その獣の瞳の色はもしかして……」

 「うん。紅かった。まるで血の色みたいに」


 予想された答えだった。

 ただの獣にあれ程の惨状を引き起こせるわけが無いとは思っていた。十数頭であれば可能かもしれない。

 だが、あの場にあった獣の残骸は少なく見積もっても数十頭分はあった。下手をすれば百頭に届く規模の群れであったとしてもおかしくはなかった。

 それほどの数の獣を完膚なきまでに殺し尽くす……そんなことの出来る存在といえば……


 「魔鬼、だな」


 それしか考えられなかった。

 草原の覇者とも言えるヴィエナスタイガーやグラスウルフ等の大型肉食獣であっても、1対多数で戦って勝利を収めることは難しい。

 相手の数が多ければその勝率は極端に下がっていくものだ。

 だが、数の差を物ともせずに一瞬で殺し尽すーそんなことが出来るほどにでたらめな存在などそうそう居るものではない。


 「たぶん、そうだと思う」


 雷砂の言葉に同意するように、キアルも青ざめた顔をうなずかせた。


 「そうか……。最近この辺りを騒がせてるのと同じ奴なのかもな。……それにしても」


 微笑み、年下の少年の、まだあどけない頬に手を伸ばす。


 「本当に無事で良かった。やつはお前達を襲おうとはしなかったのか?」

 「うん。むしろ、助けに来てくれたような感じだった」

 「助けに……?」


 思わず首をかしげた。

 魔鬼という存在にとって、人間は捕食対象でしかないはず。

 少なくとも、今まで雷砂が関わった件や数少ない文献で調べた件ではそうだった。人に味方する魔鬼など聞いたことが無い。

 だが、何事にも例外はある。

 今回がその例外だったのかもしれない……雷砂は半ば無理やり自分を納得させた。

 とにかく、二人はその魔鬼の例外的な気まぐれのおかげで助かったのだ。

 そうでなければ、二人もあの場所で幼い命を散らしていたに違いない。

 そう考えてぞっとし、それから二人の無事を思い心底ほっとした。

 ふと見ると、キアルの瞼が今にも落ちてしまいそうだった。無理も無い。疲れているのだ。


 「眠っていいぞ?村まで、オレとロウできちんと連れて帰るから」


 そう言って笑いかけると、キアルも安心した顔で笑った。それから目を閉じると、あっという間に寝息を立て始めた。

 しばし静寂が落ちる。

 聞こえるのは風が奏でる草のささやきと、子供達の小さな寝息だけ。

 色々と気にかかる事はある。だが今は。

 二人のあどけない寝顔を見つめながら、雷砂は微笑を深める。

 危険な状況の中、二人は無事だった。怪我一つ無く。今はただ、その幸運だけを思いながら。

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