maruの徒然雑記帳


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龍は暁に啼く


第四章 第三話






 ―絶対にあの女は俺に気がある。


 早足に歩きながら、先程誰にはばかることなく真っ直ぐに見る事の出来た双子の姉妹の美貌を思い出していた。

 まだ下っ端と呼ばれる身分である青年が彼女達の顔を拝む機会はめったに無い。

 だが、今日はついていた。


 舞姫のセイラから用事を申し付けられ、その後ろに隠れる歌姫の顔も間近から見る事が出来た。

 歌姫のリインの方は、何故だかじっとこちらを見つめて来たので、見つめ返して微笑んでやると、恥ずかしそうに姉の後ろに隠れてしまった。

 あれは絶対俺に気があるのだと、かなりの確信を持って青年は考える。


 清楚な美貌の歌姫と、華やかな美貌の舞姫。

 同じ顔のはずなのに、周りに与える印象はまるで違う。

 どちらかといえば、色っぽく艶やかなセイラの方が好みだったが、初々しい感じがするリインも悪くは無い。

 いずれは両方ものにするとして、まずは妹のほうを美味しく頂くのも悪くは無いだろう。

 姉のほうはその後、じっくり落とせばいい。

 そんな身の程知らずな考えににやつきながら、青年は先を急ぐ。

 座長達の乗る先頭の馬車まであと少し。

 一座の隊列は、林の横の道へさしかかろうとしていた。


 その時。


 青年は何かを感じて斜め向かいに近づいてくる林のほうを見た。

 誰かに、見られているような気がしたのだ。

 昼間なのに、大きな木の密生する木立の中は薄暗い。

 もちろんそこには何もいないし、誰もいない。


 「気のせいか」


 一人呟き、再び前を見て歩き出そうとした時、視界の隅に黒い何かが映った。

 次いで突風。

 ほんの一瞬ではあるが、目も開けていられないような風にさらされ、青年は尻餅をつく。


 うわ、かっこ悪いな―そんな事を思いながら、頭を掠めたのは先程言葉を交わした舞姫と、恥ずかしそうに彼を見つめていた歌姫の事。

 こんな格好悪いところを彼女達に見られていなければいい―そう思いながら目を開けた。


 真っ暗だった。


 いつの間に夜が来たのか。明かり一つ見えない真の暗闇だ。

 おかしいな―目がおかしくなったのかと、目元にやろうとした手が、何故だか重くて持ち上がらなかった。

 あれ?―声に出したつもりが声にならず、身体が段々斜めになっていくのを感じた。

 なんで?―その思いを最後に、青年の思考は途切れた。



 嫌な感じが急に膨れ上がった。

 リインは弾かれた様に立ち上がり、御者台に座るエマの肩越しに外を見た。

 馬車の少し前を、青年が早足に歩いている。その足が不意に止まり、彼は道の先にある林のほうに顔を向けた。

 だが、すぐに興味を失ったかのように再び前を向き、彼の足が一歩目を踏み出そうとした、その時だった。


 林の方から何かが飛んできた。黒い、何か。早すぎてそれが何なのか分からない。

 だが、それはとても危険なモノだった。


 「だめっ」


 思わず叫ぶ。その叫びが間に合わないと分かっていても叫ばずにはいられなかった。

 その声は青年には届かない。

 リインが黒い何かを視認し、叫んだときにはもう、それは青年へと到達していたのだから。


 青年の身体を黒いものが着き抜け、筋肉質の身体がぐらりと揺れた。

 ぐらり、ぐらりと揺れたその身体は、バランスを失い地面に尻餅を着く。


 ぐらり、ぐらり。


 地面に座り込んでもなお、頼りなく揺れていたその身体が、ゆっくりと地面に吸い込まれるように倒れこんでいこうとしている。

 見てはダメ―そう思った。それ以上に見せてはいけないと。

 必死に手を伸ばし、エマの目を手で覆った。


 「リインさん?」


 不思議そうなエマの声。彼女はまだ、目の前で起こっていることの残酷さに気がついていない。

 バランスを崩した青年がただ転んだだけ……そう思っているのだろう。

 だが……。 


 ぐらり―重力に引かれた青年の体がとうとう地面に倒れこんでいく。

 不自然な、とても不自然な状態で。


 彼の身体は前を向いている。

 だが、その顔は後ろを走る馬車を見ていた。

 首を深く切り裂かれた青年の顔は、首の後ろの皮一枚で繋がっているような状態だった。

 溢れる血にまみれた顔は、ぽかんとして不思議そうにこちらを見ている。

 きっと彼は何も分からないまま死んでいったのだろう。

 痛みすら感じないまま。

 その事だけが救いだった。


 「エマ、馬車を止めて?」


 少女の耳元に唇を寄せてそっと囁く。

 このまま進む訳にはいかない。

 林の奥に、何かとても危険なものがいるのだ。


 「えっ?あっ、はい」


 目隠しされたまま、言われるままに手綱を引く少女。

 馬は彼女の命じるままに足を止める。それに応じて後続の馬車も歩みを止めていた。


 「突っ切って、逃げたほうが良くない?」


 セイラがささやく。

 他のみんなの耳に届かないようにひそやかに。

 だが、リインは断固として首を振った。その目は、薄暗い林を睨みつけている。


 「だめ。あの林から、とてつもなく嫌な感じがする。近くに行かないほうがいい」

 「うーん。じゃ、後ろに逃げる?」


 多分、それが一番いい。

 だが、逃げるにはまず方向転換をしなければならないし、もたもたしていたら、そこを狙われるかもしれない。それに……

 リインはまだ歩みを止めない前の馬車二台をみた。

 彼らを放って逃げるなど、出来やしない。

 幼い頃から一緒の彼らは、家族同様。見捨てられる訳も無い。


 「そうよね。まずは、鈍感な前の連中に知らせないと」


 そう言って、セイラが立ち上がり、馬車の扉に向かった。


 「セイラ?」

 「ちょっくら行って来るわ。リインは皆をまとめて一番後ろの馬車に隠れてて」

 「だめ!!!危ない!」


 引き止めるその言葉に、セイラは苦笑交じりの笑みを向けた。


 「でも、誰かが行かないと」

 「じゃあ、私が行く」

 「それこそ却下。リインは鈍くさいから無理。あたしは運動神経抜群だし、多分この中の誰よりも早く走れるわ。あたしが最適。そうでしょ?」


 悔しいけれど、その通りだった。

 前の馬車に向かうには青年の死体の傍を通らねばならず、リインとセイラ以外の少女達には到底無理だろう。

 足の速さもリインの数倍セイラの方が早い。

 さっきのような攻撃が来ても逃げられる確立は反射神経のいいセイラの方が高いだろう。

 でも、理屈では分かっていても行かせたくはなかった。

 二人きりの姉妹なのだ。危険な事などさせたくない。

 しかし……。


 リインは馬車の中を見回した。さっきまで和気藹々と作業をしていた少女たちは皆不安そうな顔だ。

 外の様子は見えなくても姉妹の様子で何か尋常ならぬ事が起こっていることは分かるのだろう。

 彼女達を、守らなくてはならない。


 「ちゃんと戻ってくるから」


 歯を食いしばり、セイラの言葉に頷いた。

 頷かないわけにはいかなかった。


 「あの〜〜〜」


 のん気な声が聞こえてきた。エマの声だ。

 リインの両手に目を塞がれたままで、何が何だか分からないのだろう。


 「あぁ、ごめん。今からリインが手を離すから、目をつぶってて?馬車の中に戻るまで、目を開けちゃだめよ。いいわね?」

 「えっと、はい。つむりました」

 「リイン?」


 姉に促され、エマの顔から手を放す。そのまま少女の小さな手をとり、馬車の中へ誘導した。


 「よし、開けても良いよ」


 セイラは言い、よく出来ましたと、エマと妹の頭をくしゃくしゃっと撫でた。


 「あの、一体何が??」


 困惑した声だ。エマは不安そうに、リインとセイラの顔を交互に見上げた。

 セイラはその手を再びリインと繋がせると、二人に微笑みかけた。


 「大丈夫。リインがあなたも、他の皆もちゃんと誘導してくれるから。リインの言うことをきちんと聞いて、離れずについて行って」


 それから、今度は同じ事を馬車の隅で固まっている他の少女達にも告げて……


 「じゃあ、行ってくるね、リイン」


 妹の頬をそっと撫で、まるでちょっと散歩に出かけるような軽い足取りで馬車から出て行ってしまった。

 リインはそんな姉の後姿を見送り、ぎゅっと目を閉じる。

 不安で押しつぶされそうだった。それでも、ここで立ち止まっている訳には行かない。


 「リインさん?」


 エマの声に促されるように目を開けた。掌の中の小さな手を強く握り、


 「さあ、私たちも行こう」


 力強い声で少女達を促し、エマの手を引いて馬車の外へと駆け出した。

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