maruの徒然雑記帳


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龍は暁に啼く


第四章 第二話






 馬車の小さな窓から外を眺めながら、リインは何だか嫌な予感がしていた。

 なにが起こるかまでは分からない。

 だが、このまま進めば良くない事が起こると、そう直感していた。


 リインには幼い頃から霊感の様な能力が備わっていた。

 旅の途中で会った高名な魔術師から、精霊術師になれる素質があると断じられた事もある。

 その為か、リインの直感が外れる事はほとんどと言って良いほど無かった。


 ―どうしよう……。確かに嫌な感じはする。だけど……。


 それが果たして旅の進行を止めねばならぬほどの事なのか判断がつかない。

 精霊術師ともなれば、精霊を手足のように使役して、これからどんな事が起こるのか事細かに知る事も出来るのだろうが、

 リインは素質はあっても精霊術師の修行はしてこなかった。

 だからこれから起こる嫌な事がどれ程の規模のものなのか、いまひとつ掴みきる事が出来ないのだ。


 それが急を要する事なのかそうでないのかという事すら分からない。

 それに元々何かを判断するという事は得意では無かった。

 困り果て、リインはそっとすぐ隣で窓の外に目を向けている双子の姉を盗み見た。


 「何か感じるの?リイン」


 その視線を感じたのか、セイラが妹の心の内を見透かしたように問いかける。

 いつもの事ながら鋭い姉に、リインは目を瞬き、頷きを返した。


 「それってどの位の嫌な感じ?あたし達が野遊びをしててルドサウルスの巣穴に迷い込んじゃった時くらい??」


 ルドサウルスとは、頭から尾の先までの長さが大人の男の背の高さを軽く越える位の大きさの、雑食の爬虫類だ。

 数年前、2人はその巣穴に迷い込み、卵を守り気の荒くなっていたルドサウルスに追いかけられて死ぬ思いをした事がある。

 その事を思い出しながら、リインはその時の嫌な感じと今の嫌な感じを比べてみる。

 今のほうが、少しではあるが嫌な度合いが強いような気がした。

 素直にそう答えると、セイラは少し考え、


 「うーん。微妙だけど、一応止まって様子を見たほうが良いかもね。何かが起こってからじゃ遅いし。ちょっと座長の馬車に伝令飛ばしてみるか」


 そう言うが早いか、御者台に通じる扉を開けて、御者をしている青年にてきぱきと指示を与え始めた。

 まだ演目を持たず下働きをする座員の中でも要領が良く、いつも女馬車の御者をしているこの青年が、リインはあまり好きではない。

 大して魅力的な容姿をしているわけでもないのに自意識過剰で、女好きな感じを与える所が何だか嫌だった。

 身の程知らずにもセイラを狙っているのか、彼女を見る視線が嫌らしくて気に入らない。


 誰にでも優しく大らかな姉は彼の邪な気持ちに気付いていないようだが、リインの勘はセイラの事に関しては特によく働いた。

 へらへら笑いながら姉と話している様子が腹立たしく、じーっと睨んでいると、

 その視線に気がついた男が何を勘違いしたのか、爽やかさのかけらも無いような顔で笑いかけてくる。

 その笑顔に一気に鳥肌が立ち、声に出さずに悲鳴を上げて、慌てて姉の背中の影に逃げ込んだ。


 「どうしたの?リイン??」


 何も気付いていない姉は、無邪気にそう尋ねてくる。

 フルフルと首を振り、何でもないと意思表示しながら、姉の細い腰に腕を回し、青年の視線からその身を隠す。

 セイラはしばらく怪訝そうにそんな妹の様子を見ていたが、

 そんな場合でない事を思い出し、男に対する指示を手早く終え、離れた場所で仕事をしているエマを呼んだ。


 「なんでしょうか?セイラさん」

 「エマ、手を怪我しているのに悪いんだけど、ほんの少しの間……えーっと」


 一旦言葉を切り、セイラは何かを思い出すように、御者の青年の顔を見た。


 「ほんの少しの間……なんでしょう?」


 中途半端なところで切れてしまった話の続きを促すようにエマ。


 「あー……ほんの少しの間、彼と御者を代わってくれないかしら。えっと、彼にはちょっと団長の所へ行ってもらわないといけないの」


 セイラは少しばつが悪そうな顔をして言葉を続ける。

 どうやら御者の青年の名前をどうしても思い出す事が出来なかったらしい。

 記憶力のいい彼女にしては珍しい事だ。

 その記憶力が興味が無い事に対しては全く働かない事を良く知っているリインは、姉の背後で人の悪い笑みを浮かべた。

 セイラが思い出そうとしても思い出せないほど記憶に残ってないという事は、あの御者の青年に対して全く興味がないということなのだ。

 もちろんリインも彼の名前など全く思い浮かばない。


 「分かりました。私、子供の頃に馬の世話もした事がありますし、御者の経験もありますから大丈夫です。任せてください」


 朗らかに笑い、快諾する少女は、奴隷としてこの一座にやってきた。

 彼女だけではない。この一座の人間のほとんどは奴隷上がりだ。

 前の座長も、そして今の座長も、見所のある奴隷を買い上げては芸を教え、一人前の座員として育て、一座を大きくしてきた。


 セイラとリインも最初は奴隷だった。

 双子の奴隷はその珍しさから、かなりの高額で取引される。

 だが、今の座長の父親だった前の座長は、姉妹を引き離すのは可哀想だからと、かなり無理をして二人を買い取ってくれた。

 そんな優しい心を持った前座長は数年前に他界したが、二人は彼のことを本当の父親のように慕っていた。


 その彼の与えてくれた恩恵に報いるため、二人は必死に努力し、最高の芸を身に着け、今の地位まで上り詰めた。

 かつて奴隷だった二人は今では自由の身だ。

 これも座長の方針で、自分の身代を払い終えた者は奴隷から開放してくれる。

 誰であっても例外なく。


 そうやって奴隷から解放され、一座を離れた者も中にはいた。

 だが、ほとんどの者は一座に残り、芸を売り、芸を教え、まるで家族のように暮らしている。

 セイラもリインも、この一座が大好きだった。

 年下のエマのことは妹のように思っている。もちろん他の少女達の事もだ。

 中には、目の前の青年の様に、どうしても好きになれない相手も居はしたが。


 「じゃあ、よろしくね?きちんと座長に伝えるのよ?」


 そう言って送り出すセイラに頷きを返し、青年は御者台から降りた。代わってエマがその場所に座る。

 まだ日差しも高く、暑そうだ。

 リインは肩からかけていた薄布を、後ろから少女の肩にかけてやった。エマが振り向き、嬉しそうに笑う。


 「日が強いから……」

 「そうね。頭からしっかりかぶった方が良いわ。辛くなったらいつでも言ってね?」


 言葉足らずな妹の言葉を補足するようにそう言って、セイラはその肩を二度優しく撫でた。

 いい子ね―と、声には出さない姉の気持ちが伝わってくる。

 はにかんだ様な笑みを口元に浮かべ、姉の隣にぺったりとくっついて座った。

 暑いわよ―と苦笑交じりの言葉を聞こえない振りでやり過ごし、湧き上がる嬉しさをかみ締めて。

 だが、嬉しい気持ちに胸が温かくなっても、片隅の黒い不安は消えない。

 むしろどんどん大きくなるような気がして、再び不安そうに外を見た。


 空は青く、雲ひとつ無い。

 ―何事も起こらなければいいのに。

 リインはそう思い、そう願った。

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