maruの徒然雑記帳


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龍は暁に啼く


第四章 第十話






 ほんの一瞬視界がぐらりと揺れた。

 気が付くと目の前に男が立っていた。走っていたはずなのに、いつの間にか足も止まっている。

 雷砂は目をしばたき、周囲を見渡した。

 見慣れた草原の景色がなんだかよそよそしい。まるで、知らない場所にいるかのように。


 周囲を一通り見回してから、改めて目の前の男を見上げる。

 背の高い男だ。

 整った顔に人懐こそうな笑みを浮かべている。

 しかし、眼はまるで笑っていない。

 冷たい輝きの紅い瞳は、ゾクリとするような邪気を放っていた。


 紅い瞳。

 それは魔のモノが宿す瞳だ。

 だが、稀に人の身でありながらその色を宿す者もあるという。

 人の眼に宿りし紅き宝玉を、人々はいつしか邪眼と呼んで忌み嫌うようになった。


 それはなぜか。理由は簡単だ。

 邪眼を備える者は、ほぼ例外なく強い魔力を有する。時には魔族をも凌駕する程の力を。

 人々は、彼等の人という器を遥かに超えた強さを恐れるのだ。

 恐れは嫌悪に変わり、嫌悪は容易に憎しみへと変わる。

 人々は邪眼持ちを、恐れ、憎しみ、嫌悪する。

 時にはその母親でさえも、腹を痛めて産んだ子を憎しみのまなざして否定する。

 邪眼を持って生まれた者は、生まれながらに悲しい運命を背負わされている。


 もちろん、雷砂も邪眼という存在を知ってはいた。

 だが、雷砂にとってその紅い瞳は恐怖や嫌悪を連想させるものではなかった。

 心に浮かんだのは、はかなく塵となって死んでいった一頭の獣の事だけ。

 雷砂は悲しみをたたえた瞳で目の前の男をただ見上げた。

 負の感情を向けられる事に慣れきった男は、不思議そうに自分の半分程の背丈の子供を見下ろしながら、


 「俺が、怖くないのか?」


 そう問いかけた。

 問われた雷砂に彼を恐れる理由もなく、小さく首をかしげ、


 「あんたを怖がらなきゃいけない理由は思い当たらないけど?会うの、初めてだよね?」


 と、真顔で返す。

 それを聞いて、男が破顔した。その瞳に隠しきれない興味をたたえて。


 「いいな。気に入ったよ。中身も見た目も俺好みだ」


 妖しく笑みを深めた男の指先が雷砂の顎を捕らえて、紅い瞳が左右色違いの瞳を覗き込む。

 雷砂は動かない。

 今はまだ、男の手から逃れなければと思う程の脅威も嫌悪も感じなかったから。

 ただ、男の為すがまま、彼を見上げ、その瞳の奥を見つめた。

 そこに隠された感情を探すように。


 「ねぇ」

 「なに?」

 「俺のものになってくれない?」

 「なんで?」

 「君の事がこの世で二番目に気に入ったから」

 「一番のヤツにたのんだらいいんじゃないか?二番で妥協しなくても」

 「一番の人は俺の事が大嫌いだから、絶対ムリ!もし、君を一番だって言ったら、俺のモノになってくれる?俺だけの人に」


 真剣な眼差しに、雷砂もまた真面目に考える。

 しっかり考え、そしてきっぱりと首を横に振った。


 「一番でもだめなのか…」


 問いかけのような、独白のようなつぶやき。

 雷砂は律儀に答えを返す。


 「オレはオレ自身のものだよ。オレにはオレの生活もあるし、大切な人やモノもある。それを全て切り捨ててあんたのモノになるのは無理だよ」

 「その全てをひっくるめてでもいいと言っても?」


 縋るような言葉。

 その必死さに、雷砂は男の境遇を思った。

 決して恵まれた境遇では無かっただろう。

 邪眼を持つ、ただそれだけの事で人から敬遠される人生は、きっと孤独なものだったに違いない。

 思わず頷いてやりたくなる。いいよ、と。あんたのモノになってやる、と。

 だが、それは嘘だ。

 雷砂は彼だけのモノになってやる事など出来ない。

 歩むべき人生があり、大事な人がいる。何より、為さねばならぬ大切な事がある。


 一つの面影が心に浮かぶ。

 夢の中でしか会ったことのない、現実か幻かもわからない存在だ。

 だが、雷砂は信じている。彼が実在する事を。

 だから。

 雷砂は首を振る。縦にではなく、横に。


 「それでも、だめだ」


 きっぱりとした否定に男の顔が歪む。


 「それに、あんたは嘘をついてる」

 「嘘?」

 「全部ひっくるめて?そんなの嘘だ。あんたはきっと許さない。オレの中にある自分以外の存在を」


 男は肯定も否定もしない。

 だが、その瞳の奥の冷たい輝きが雷砂の言葉を肯定していた。


 「あんたはそういう人間のような気がする」

 「そういうヤツは嫌いだってわけ?」

 「いや…」

 「じゃあ」

 「あんたは淋しいだけだ。淋しがり屋の小さな子供のように人を求めてる、ただそれだけ」


 雷砂は両手を伸ばし、それに気付いた男が膝を屈める。

 そうして近くなった男の冷たい頬を両手で包み込むように触れた。


 「ただ淋しがってるだけのヤツを、嫌いになんかならない」


 そう言って、雷砂は微笑んだ。

 男はただ、虚をつかれたように目を見開き、新鮮な驚きを浮かべて目の前の少女を見つめた。

 しばらくそうして見つめ合った後、彼はふいに子供のように笑った。無邪気に、なんのてらいもなく。


 「いいな。君の事が好きになってきた。流石、あの人が大切にしているだけの事がある」

 「あの人?」

 「俺の一番、だよ」


 答えて、嬉しそうに目を細めた。

 そんな彼の表情を見た瞬間、雷砂は自分が急いでいたのだという事を思い出した。

 空を見上げる。

 さっきから大して太陽の位置は変わってないように見えた。

 それでも急がねばと、雷砂は男に暇を告げる。


 「もう、行かないと」


 それだけを告げ、踵を返した瞬間、腕を捕まれた。

 驚き、振り向いた先にあったのは、酷薄な笑みを口元に貼付けた男の顔。

 さっきまでの無邪気な子供の表情など、もうどこにも見当たらない。

 まるで別人になったかのような豹変ぶりだった。


 「ますますお前が欲しくなった」


 口調もさっきまでとはまるで違っていた。

 眉をひそめ、男を見上げる。


 「もう一度問おう。俺のモノになれ」

 「何度言われても答えは変わらない」

 「強情だな。後で後悔するぞ?」

 「後悔なんかしない」

 「まあ、いいさ」


 やっと諦めてくれたかと、気を緩めたその隙をつくように、男は素早く身を屈め、そして-。

 少女の唇を啄む様にキスをした。


 「……今は退いてやろう。彼の顔をたてて」


 そして、そのまま色違いの瞳を覗き込み、ニヤリと笑って、


 「また会おう、雷砂」


 そう告げた。

 明かした覚えのない名を呼ばれ、動揺したわずかな時間の間に、男の姿は掻き消えていた。

 その存在の残り香のように、微かな響きの言葉だけを残して。


 「お前の大切なものを残らず壊して、お前を俺のモノにしてやろう」


 そんな禍々しい響きの言葉を。

 気がつけば、雷砂は一人、草原に立っていた。

 いつもの、見慣れた草原に。他に人の姿はない。気配の残滓でさえ。

 風が黄金色の髪を撫で、過ぎ去っていく。

 そうやって風に吹かれるままに、草の海の間に立ち尽くしていた。

 唇に残る温もりに、消えた男が確かに存在したのだという証を確かに感じながら。

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