maruの徒然雑記帳
龍は暁に啼く
第四章 第一話
細い街道を数台の馬車が連なり、先を急いでいた。
向かう先はこの大陸最大の草原、ヴィエナ・シェヴァールカの宿場町とも言われている小さな辺境の村だ。
彼らはその村の祭りに呼ばれている旅芸人の一座だった。
連なる馬車は7台。
最初の3台はそれなりにしっかりした造りの人を乗せるための馬車。旅芸人たちは恐らくそこに分乗しているのだろう。
馬車の中からはなにやら賑やかな話し声が聞こえている。
残る4台は荷を運ぶためのもの。それぞれに御者が馬を操っているが、きっと退屈なのだろう。
中には眠そうな顔をしてあくびをかみ殺している者もいた。
御者の一人がふと前を行く馬車をみた。
幼い顔をした、まだ若い男だ。青年というにはまだ早いが少年と言い切れるほど幼くもない。
一座の者からジスと呼ばれる新入りは、仲間の中では一番若く、立場が弱い。
だからよく、雑用を押し付けられていた。
荷馬車の御者の仕事もその一つで、この旅のほとんどの時間をこの仕事に取られていたといっても過言ではない。
同じ御者でも、一座の花形が分乗する3台の馬車の御者は下っ端の中で人気の高い仕事だった。
特に前から3番めを走る馬車の御者の競争率は高かった。
1番前の馬車は座長や一座の運営にも関わるような古株座員の乗る少し堅苦しい幹部馬車。
2番目は自分の演目を持つ座員の馬車。
もちろん花形と言える座員も乗っているが、中にいるのは全員男。
筋肉自慢のものも多く、暑苦しい事この上ない。
だからなのか男馬車は3台の中では人気が低い。荷馬車よりは少しましといったところだろうか。
女が御者をやるのであれば事情は変わってくるのであろうが、あいにく御者をやるのは下っ端の中でも日に焼けても支障がない男だけの仕事だった。
1番人気の3番目の馬車にも座員が乗っている。
ただし、この馬車に乗っているのは全員女。
一座全体から見ると女の数は男より少なく、よって下っ端の見習いでも女であれば、この女馬車に乗る事が出来る。
うらやましい限りだ。
まぁ、彼女たちに言わせれば、馬車の中でも仕事を怠けられるはずもなく、衣装直しなどで忙しく働いているとの事だが。
それでも炎天下で、話す相手もなく延々と馬車を操り続ける仕事よりはましだろう。
何よりも、女馬車には一座の花形中の花形が2人も乗っているのだ。
彼女達の近くにいられるだけでもうらやましい。
会話する事が出来なくても、馬車からもれ聞こえる彼女達の声を聞くだけで、それは何よりの癒しになる事だろう。
ジスは、疲れ果てた顔で女馬車の御者台に座る男を見る。
その視線を感じたのか、彼もジスの方をちらりとみて、口元に嘲るような笑みを浮かべた。
長身で筋肉質な身体のその男は、見習いの中でも頭一つ飛びぬけていて、彼が自分の演目を与えられるのももうじきだろうと言われている。
性格は悪いが要領が良く、器用で頭の良い男だった。
彼は旅の間、ずっと女馬車の御者を独り占めしていた。
だが、下っ端連中の中でも彼に文句を言える者はなく、時折恨めしそうに彼を見つめる事しかできない。
ジスはため息をつく。
ほんの数分後に起ころうとしている事に気付きもせずに。
自分が荷馬車の御者役で良かったと幸運をかみ締める事になるなど思いもしないまま。
一座は進む。
目指す村まであとわずか。
少し先に見える街道沿いの林の横を通り抜ければ、もう目と鼻の先だった。
その馬車の中はほんのり花の香りがしていた。
今年15歳になる舞姫見習いのエマは衣装の綻びを繕いながら、そっとこの一座の花形である美しい姉妹を盗み見た。
もうじき20歳の誕生日を迎える美しい双子の姉妹は揃って退屈そうに馬車の小さな窓から外を眺めていた。
その類稀な美貌の横顔をうっとり見つめていたエマはうっかり指に思い切り針を突き刺してしまった。
「痛っっ」
思わずこぼれた声に、同じように周りで作業をしていた少女達が顔を上げる。
針に傷つけられた指からは真っ赤な血が玉のように膨れ上がって今にも零れ落ちそうだ。
「大丈夫?エマ」
心配そうにそう声を掛けてくれたのは、エマの舞いの師匠でもある、一座の花形舞姫のセイラだ。
揺れる馬車の中、羽のように軽い身のこなしでエマの傍に来て、血の溢れた傷口を見ると菫色の瞳を気遣わしげに曇らせた。
「これ」
言葉少なにそう言って白い布を差し出してくれたのはセイラの双子の妹、リイン。
硬質な輝きの蒼い瞳を持つ彼女は一座の歌姫だ。
その職柄から喉を大事にしているのか、彼女はいつも寡黙で多くを語らない。
その為、どうしても周りに感情も伝わりにくい。
おおらかで明るい姉と違い、表情も乏しく一見気難しそうにも見えるのだが、長い付き合いの仲間達は彼女が繊細で優しい心を持っている事を良く知っていた。
リインは差し出した布をエマの指に巻きつけてくれようとするのだが、それが中々うまくいかない。
彼女は歌う事以外の全てを母親の身体の中に置き忘れてきてしまったかのように不器用なのだ。
感情表現も、身体を動かす事も。
しばらく頑張っていたが、どうにもこうにも上手くいかず、困ったように姉の顔を仰ぐ。
セイラは微笑み、妹の作業の続きを引き取った。
すると、今度は魔法のようにあっという間に傷ついた指が綺麗に白い布で包まれてしまう。
「きつくない?」
「大丈夫です。ご心配おかけしました。ありがとうございます」
問いかけに頷いて、少女は上気した顔で2人に向かって礼の言葉を告げ、頭を下げた。
その言葉に、セイラは艶やかな、リインは少しはにかんだ笑みで答え、連れ立って窓際の二人の指定席に戻っていく。
そして再び窓の外に揃って目を向けた。ほんの少し退屈そうに、窓の外に何か面白い事が無いか探すかのように。
そしてエマはまた性懲りも無く、2人の横顔に見とれるのだった。
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