maruの徒然雑記帳


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龍は暁に啼く


第三章 第六話






 お互いに自己紹介を済ませた後、二人は差し向かいに座ったまま、静かにサイ・クーの入れた茶を飲んでいた。

 男の名前はジルヴァン。

 草原の獣人族の一部族、ライガ族の長なのだという。


 ライガ族の事は少しだけ知っていた。

 草原の部族の中で、この村に一番近い縄張りを持つ部族だと、以前に村長から聞いたことがあった。

 比較的統率の取れた穏やかな気質の部族で、族長のもと良くまとまっているとも聞いた。

 村長が言うには、外部からの旅人から草原への立ち入りの申し出があると、ライガ族へ案内を依頼することが多いのだという。

 ほかの草原の部族は話が通じない者がほとんどだからと。


 サイ・クーは獣人族の事をあまり良く知らない。

 見たのも、言葉を交わしたのも今日が初めてだ。

 だが、彼らが人族より強く優れた種族だという事はなんとなく理解していた。

 それなのに、獣人達の領土はほんのわずかだ。


 ヴィエナ・シェヴァールカは決して小さな草原ではないし、肥沃で動植物も豊かだ。

 だが、ガーランディア大陸全土から見ればちっぽけな土地に過ぎない。

 そんな場所へ彼らを押し込めているのは人間だ。

 数は彼らを遥かに凌駕するものの、一人一人の能力は彼らに遠く及ばない。

 そんな存在に支配される事は彼らにとって決して面白い事ではないだろう。

 彼らには、人に支配されているという思いは無いのであろうが。


 だが、彼らが人間という存在に好感情を抱く要因は少なく、逆に悪感情を抱く要因は星の数ほどもある。

 彼らと人間が理解しあい、信頼を分かち合うには両者の距離が離れすぎていた。

 物理的にも、心理的にも。

 ずっと、獣人族が人を嫌うのは仕方ないと思っていた。

 草原を飛び出し、攻めてこないだけましなのだと。


 だから、サイ・クーは驚いている。

 今日はじめて知り合った獣人は彼の想像を遥かに超えていた。悪い方へではなく、良い方へ。

 獣の姿は恐ろしげではあったが、彼は礼儀正しかった。

 獣人族としての自分を誇り、上から見下ろすのではなく、ちっぽけな人間の−しかも吹けば飛ぶような貧相な爺にきちんと敬意を払い、同じ目線で話ができた。

 それはとても素晴らしい事のように、サイ・クーには感じられた。


 「さて、お客人よ。ジルヴァン殿と名で呼ばせて頂いてもかまわんかの?」

 「もちろんだ。好きなように呼んでくれ。私もあなたの事を名前で呼ばせて頂こう」

 「ふむ。そうして貰えるとわしも嬉しい。お客人、ご主人と呼び合うのではいかにも他人行儀じゃからの」


 答えてにこりと笑う。それから、改めて姿勢を正し、ジルヴァンの瞳をしっかり見返した。

 彼の口からまだ来訪の用件を聞いておらず、そろそろその事に触れるべきと考えたのだ。

 いくら好感の持てる人物だからといって、いつまでも独り身の寂しい爺の茶飲み話につき合わせるわけにはいかぬだろうと。


 「そろそろ夜も更けてきた。このまま朝まで語り合っても構わぬし、泊まって頂いても構わぬのだが、そういう訳にもいかんのじゃろう?」

 「む……。そうだな。あなたは気持ちのいい人物だし、私も存分に語らいたいという気持ちもあるのだが、今日は偲びでここに来てしまったのだ。

 夜明けまでに戻ってないと姪からの小言をくらう羽目になる。情けない話だが、私はどうも姪には頭が上がらぬのだ」


 困ったようなハの字眉が妙に可愛らしい。

 思わず笑ったら、「笑い事ではないのだ」と小さく睨まれた。


 「いや、すまぬ。困り顔のあなたが妙に可愛らしくてのう。そうか、姪御に頭が上がらぬのか。

 ならばなおの事、話を早く終えてしまわねばなるまいのう。ジルヴァン殿、今日はこの爺に何を尋ねに来たのじゃ?」


 率直な問いかけに、少しひるんだ様に顔を俯かせ、それから再びぐっと顔を上げた。

 真っ直ぐな眼差しがサイ・クーを捉える。


 「サイ・クー殿。今日私は……」


 言葉が途切れる。


 「何じゃね」


 サイ・クーは微笑み、促した。しかし、言葉は続かない。

 彼の言いよどむ様子から、きっと訊き辛い事なのだろうと察した。だが、どんな事を問われても答えるつもりだった。


 「大丈夫じゃよ。何を訊かれてもわしは正直に答えよう。あなたという人物への敬意として」


 想いを言葉にして伝える。言葉を躊躇う彼の背中を押すように。

 ジルヴァンは一瞬目を見開き、そして閉じた。そのまま数秒。それから目を開き、


 「今日、私は……あなたの秘密を、暴きに来たのだ」


 そう、言葉を紡いだ。

 「わしの、秘密?」

 「そうだ。あなたが隠している秘密を、私はどうしても訊かねばならぬ理由がある」

 「わしの秘密をのう。そんな大した秘密ではないと思うがの」


 秘密は、ある。だが、取り立てて隠しているつもりは無い。

 ただ、語らなかっただけだ。

 この世界で生きるのに、その事実を語る必要が無かったから自分から吹聴することはしてこなかった。

 だから、その事を知る物はほとんどいない。


 サイ・クーは顎をそろりと撫で、目の前の男の顔を改めて見つめた。

 是が非でも、このちっぽけな老人の秘密を聞かねばならぬというような真剣で切羽詰った顔をしている。

 そんな彼の顔を見ている内に、なんだか楽しくなってきた。

 彼になら秘密を語ってもいいと思った。


 そんな大した秘密ではないが、彼の期待に応えて大層もったいぶって重大な事のように答えてみようかとも考える。

 だが、答えを語るその前に、聞いてみたい事があった。

 それは、秘密を誰から聞きつけたのかと言う事。

 数える程の人にしか話すことの無かった事だ。

 秘密を知っている者はサイ・クーのごく親しい知人、あるいはその縁者に限られるはず。


 ということは、だ。

 サイ・クーの秘密の存在を知る目の前の男は、どこかでサイ・クーの知人とつながりを持っている可能性が高いという事だ。

 ごく平凡な老人と獣人の一部族を率いる長−まるでかけ離れた二人なのに、人間関係の一部が偶然にも重なり合っているのかもしれない。

 そんな不思議な可能性が見えて、なんだか年甲斐も無く興奮している自分がいた。

 さて、どうやって情報源を聞き出そうか―そんな事を考えていると、まるでその思いを読み取った様な言葉がジルヴァンの口から飛び出してきた。


 「なぜ、私が貴方の秘密を知ることが出来たのか―知りたいと思っているでしょうな」


 思わず目を丸くして声の主を見てしまった。彼は口元に苦い笑いを浮かべ、少し困ったような顔をして老人を見返した。


 「その事を、貴方が知りたいと思うのは当然だ。私も不躾な事を願い出た以上、その事を話さねばならぬとも思う。

 だが、申し訳ない事に私もその人物の事を良く知らないのだ」


 その言葉に、サイ・クーは思わず首を傾げた。


 「む?わしの話を聞いたというのなら、当然言葉を交わされたのじゃろう?ならば……」


 その相手を知らないというのは理にかなうまいと続けようとした言葉を、皆まで言うなとばかりに遮り、苦虫を噛み潰したような渋い顔をした。


 「確かに言葉を交わした。しかし、そのお方の名前すら分からぬ。

 かの方は、わが部族の拾い子の噂をどうやってだか耳にして、わざわざ私の元へやって来られたのだ。

 ほんのひと時立ち寄られ、あっという間に去ってしまわれた。

 去り際に貴方の話をし、名を知りたければ貴方に訊ねよと、そう言い残して。だから、私に分かるのはせいぜいその方の種族くらいのものなのだ」


 「種族……のう。その言いようだと、少なくともこの世に溢れかえる人族やあなた方獣人族ではなさそうじゃのう」


 「そうだ。かの人は高貴なる姿で我らが集落を訪れた。我が部族の誰もが例外なく度肝を抜かれた。腰を抜かして立てなくなった者もいたくらいだ」


 「ほう。それ程に珍しい種族となると」


 「うむ。もはや貴方にも想像がついているとは思うが、私がお会いしたのはこの大陸で尤も神に近いとされる種族。

 守護聖龍の命にのみ従い、その尊き身を守るために存在しているという幻の種族……」


 「ー龍神族か」


 「いかにも」


 短く答え、重々しく頷いた。

 龍神族―それはこの大陸で生まれた尤も古い種族だと伝えられている。

 大陸の守護者・美しき神龍に継ぐ力を持ち、同じ姿を与えられし種族。

 彼らは険しき山の頂きや深い谷に隠れ住み、ほとんど他の種族と交流を持たない謎多き種族であった。


 だが、サイ・クーは彼らを知っていた。人の噂や文献で得た薄っぺらい情報のみではなく。

 昔―サイ・クーの髪がまだ黒々していた頃の事。

 一度だけ、龍神族に連なる者に会ったことがあるのだ。

 彼は龍の姿ではなく、人の姿をしていた。


 長い旅の途中、サイ・クーは偶然怪我をしたその青年と出会い、傷の治療を施しながらしばらく共に旅をした。

 彼が龍神族である事を知らないまま。

 その事実を知ったのは別れの時。

 サイ・クーに別れを告げた青年はその姿を龍身に変え、大空に舞い上がり、遥かかなたへ去ったのだ。

 それは何とも言えず荘厳で美しい光景だった。

 長い時を過ごし、年老いた今でもはっきりと脳裏に思い描けるほどに。


 「そうか、貴方の元を訪れたのはやつでしたか。昔から人を驚かせるのが好きな奴でしたが、それは今でも変わらんようじゃの」


 懐かしそうに目を細め、老人は笑みを浮かべた。


 「かの種族に連なる方をそんな風に語れるとは……。よほど親しい付き合いをされていたのだな」

 「いや、それほど長く共にいた訳でもないし、さして親しくも無かったと思うがの。まぁ、彼らは元々他の種族とは親しく交わらん種族じゃ。

 さしずめわしは、奴にとって数少なく珍しい異種族の知り合いといったところじゃろうのう」


 そう言って呵呵と笑った。


 「さてさて、奴の紹介であれば話してやらねばなるまい。大して面白くも無い老人の昔話じゃがのう」


 老人は姿勢を正し、目の前の男を改めて見つめた。


 「そうじゃ。昔話の前に、奴の名前をお教えしましょうかの。もし、望まれるのであれば」


     その申し出に、ジルヴァンは首を横に振った。


 「それは私が知る必要がない事だ。遠慮しよう。ただ、いつか貴方の前に我らが養い子が現れてその事を知りたいと言った時……

 あるいは、伝えた方が良いと貴方が判断された時は、ぜひ教えてやって頂けないだろうか?」

 「よかろう。その頃までにわしがもうろくしていなければの話じゃがの」


 頷き、老人は思いを馳せる。

 獣人族の長がこれほど気に掛け、噂を聞きつけた龍神族が会いに来たというその幼子について。

 まだなにも、名前すら知らないその子供の事が何故だかとても気になった。

 だが、今はその子について思いを巡らせる時ではない。

 目の前の男に、己が歩んできた不思議な半生の話をしてやらねばならない。


 そんな事を思いながら老人は片手で顎の髭をなでた。

 さて、何から話そうかと考えながら。

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