maruの徒然雑記帳


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龍は暁に啼く


第三章 第五話






 ごうっと音がして、また強い風が吹いた。古くて立て付けの悪い扉がガタガタと音を立てる。

 戸の隙間から忍び込む風の冷たさに身震いしながら、サイ・クーはそろそろ布団にもぐって寝てしまおうかと思案した。

 まだ寝るには早いが、今夜はやけに寒く、細かい作業がどうにも辛い。

 今夜できなかった分は、明日の朝早起きをしてやればいいと心を決め、奥の間の万年床へ向かおうとした時だった。


 強い風の音にまぎれるようにして、戸の外から何やら人の声がする。

 風の音と、扉の立てる音がうるさくて何を言っているのか聞き取れないが、どうやらこの家の外に誰か居るようだ。

 そう判断し、サイ・クーは重い腰を上げ、一つしかない出入り口へと近づいた。


 「何か御用ですかな?」


 戸口に立って問うと、外からは夜分遅くの訪れをわびる男の声が返ってくる。

 この家への客人に間違いないらしいと思いながら、念の為と薄く開けた戸の隙間から外を伺い、そこにある光景に目を見張った。


 「夜分遅くに申し訳ない。いきなりの訪問で驚かれたであろうが、どうか話を聞いていただけないだろうか?」


 金色の毛皮に青い瞳の何とも立派な体躯の獅子がそこにはいた。

 しかし、その獣が喉を震わせ発するのは獣の唸り声で無く、見事な発音のこの大陸の共通言語だ。

 獅子はその蒼の瞳に確かな知性を宿し、驚きの表情で固まっている老人を見つめ返した。

 「もしや、獣人族の者と接するのは初めてだっただろうか?ならば申し訳ないことをした。

 急ぐあまり、つい走りやすい姿で来てしまったのだが、我らのこの姿はあなた方にとってあまり快いものでない事は理解している。

 驚かせてしまって申し訳ない」


 ごくりとつばを飲み込み、驚きのあまり固まってしまった思考に活を入れる。

 やっと動き始めた頭で、どうしたものかと考える。

 外に居る相手は、姿はどうであれ、大変礼儀正しい御仁のようだった。

 家の中に招き入れる事もやぶさかではないが、いかんせん相手の体が大きすぎる。


 あの体躯ではこの扉を大きく開け放ったところで通り抜けるのは難しいであろうし、

 もし入れたところで細々したものが雑多に並べられたこの室内には、彼がゆっくり落ち着けるほどの広さも無い。

 いくら礼儀正しいとはいえ、恐ろしげな獣の姿の相手と狭い室内で密着して過ごすなど、考えるだけで血が凍りつくようだ。


 頭の中の恐ろしい光景に思わず身震いをして、老人は獣人族という存在についてのわずかな知識を引っ張り出す。

 確か彼らは獣の姿と人の姿、どちらの姿を選ぶも自由自在と聞いたことがあった。

 となれば、外に居る御仁もあの立派な獣の姿とは違う、もう一つの姿を持っているはず。

 そう考え、サイ・クーは恐る恐る問いかけた。


 「扉越しにずっと話しているわけにはいかないじゃろうし、何よりこの寒さ。ぜひ我が家にお迎えしたいところなのじゃが……」

 「なんと。それはありがたいが、よろしいのだろうか?」

 「是非にと申し上げたいのだが、なにぶん狭い家なので、あなたのその立派なお体をお迎えするだけの十分な広さが無いのじゃよ。

 失礼なお願いかもしれんが、我らと同じお姿になって頂くことは出来ないものだろうかのう?」


 老人の申し出に、彼はその面に困ったような、何とも人間くさい表情を浮かべた。


 「やはり失礼な願い事じゃったろうかのう?気分を害されたならご容赦願いたい」


 そんな謝罪の言葉に、見事な鬣を揺らしてかぶりを振る。


 「いや、あなたの申し出は尤もな事だ。確かにこの図体は大きすぎる。あなたの言うとおりにしたいのは山々なのだが……」

 「何か不都合な事でもあるのなら、無理にとは言わぬが」

 「実は、恥ずかしい話なのだが、ここへ来るのに気をとられて、人の姿になった際に纏う衣類を持参するのを失念してしまい……。

 我らは素肌をさらす事にそれ程羞恥心を感じはしないが、人の身であるあなたに対しては失礼になるだろうと思って、どうしようかと思いあぐねていたのだ」


 恥ずかしそうに打ち明けられ、老人は思わず破顔した。

 すばやく室内を見回し、入り口近くに掛けられていた己の外套を手に取り、扉を開けて大きな体を情けなさそうに小さくしている獅子に向かって差し出した。


 「こちらを使ってみてはどうかの?わしのものじゃから、あなた様には小さいかもしれんが」

 「お貸しくださるというのか!?」


 驚いたように見開かれた青い瞳に向かって頷きを返し、外套を彼の前肢にそっと掛けた。


 「わしは中で茶でも入れながらお迎えの準備をしていよう。準備が終わったら勝手に入ってもらって構わんでの」


 そう伝えて、家の中へ入った。



 しばらくして。

 扉の外から控えめなノックが聞こえた。老人は己の体の許す限りのすばやさで立ち上がり、古びた戸を再び開け放った。

 扉の外にいたのは一人の男だ。


 細身の長身に黒い外套を巻きつけ、冷たすぎる風に身をすくめるそぶりもせずに真っ直ぐ立つ男は、

 失礼でない程度にサイ・クーの瞳を見つめ、それから礼儀正しく頭を下げた。

 サイ・クーもしばし目の前の男の容貌を観察した後、彼に倣い丁寧なお辞儀を返した。

 そして、お互い顔を上げ再び目を見合わせてから、改めて入室を促した。

 長身を折り曲げるように入ってきた客人に、寒かろうと奥の暖かい場所を勧めたが、彼は微笑み、礼儀正しくその申し出を辞退した。


 「お心遣い、痛み入る。だが、我らの種族はこのような姿でもあまり寒さを感じないのだ。毛皮も無い今の状態で不思議な話だとお思いだろうが。

 あなたの暖かいお気持ちだけ頂こう。その場所へは私の代わりにあなたに座って頂きたいと思うが、これは無礼な申し出になるだろうか?」


 その申し出は老人にとって願っても無い事だ。

 男に勧めた場所はいつも老人が腰を落ち着けている場所。

 めったに無い客人に礼を示そうといい方の場所を勧めはしたものの、そうなると残されるのは入り口近くの隙間風にさらされる位置しかない。

 さすがに年老いた身には少々辛い場所ではあった。


 サイ・クーは皺深い顔に笑みを浮かべ、ありがたく申し出を受ける事を伝えた。

 男もほっとしたように破顔した。

 そうして笑うと、男の顔が思いの他若く見えることに驚き、ついうっかりまじまじとその顔を見つめてしまう。

 男はその視線に気づいて苦笑いを浮かべ、己の顔に蓄えた髭を片手で撫でた。


 「年に似合わぬ幼顔を隠そうと髭を蓄えてみたものの、部族の皆には思いの他不評で……。やはり、似合いませぬか?」


 思いもしなかった問いかけに、サイ・クーは驚き、だが次の瞬間には老いた面に柔らかな笑みを浮かべ、ゆるやかに首を横に振った。


 「いやいや、良くお似合いじゃと思いますぞ。貴方の若々しさを覆い隠すには少々役不足と言わざるをえんじゃろうがのう。

 じゃが、そのアンバランスさも魅力のうちじゃ。貴方はとてもいい顔をしていらっしゃるのう。わしゃ、惚れ惚れしたわい」


 老人の口から流れ出る湯水のような褒め言葉に、今度は男が苦笑をもらす。


 「過分なお褒めの言葉に何やら身がすくむようだが、ここはありがたく頂戴しておこう」

 「不躾な視線を向けた事、お許し頂けるかの?先程はついつい貴方の顔にぽーっと見とれてしまった。初対面のお方に失礼な事じゃった。申し訳なかったのう」

 「いやいや、先に無礼を働いたのはこちらのほうだ。先触れも無くこんな深夜にいきなり押しかけて。それを快く招き入れてくれた貴方には感謝の念しかない。

 こんな顔で良ければいくらでも見てくれてかまわぬよ。何の礼にもならんだろうが」


 そうして老人の方に顔を近づけ、にこりと邪気の無い笑みを浮かべた。

 その笑顔はサイ・クーの胸にあった警戒心の最期の一片を軽々と吹き飛ばした。

 初めて会ったはずなのに、彼はすっかりこの独り者の偏屈な老人の懐の奥深くまで入り込んでしまった。

 彼がいったいどんな用事でここを訪れたのかまだ皆目見当もつかないが……

 それがどんな内容であれ、恐らく自分は受け入れてしまうだろうと、サイ・クーは不思議と晴れやかな気持ちのまま思った。

 なんだか胸が温かだった。

 老人は本当に久しぶりに、人と心を通わせる事の心地よさをただ、素直に感じた。

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