maruの徒然雑記帳
龍は暁に啼く
第三章 第二話
その日のサライは賑わっていた。
宿場町としての普段の賑わいとも違う、少し浮かれたような賑やかさ。
それは数日後に控えた村の一大イベントである春祭りのせいもあるのだろう。
冬が過ぎ、少しずつ暖かくなってきた村の広場へ続く道を、
冬の重苦しい服装とはまた違った春らしい装いに身を包んだ人々が行き来する中、早足で村はずれに向かう少女がいた。
時折すれ違う村の住人とそつなく挨拶を交わしながら、それでも足取りを緩めずに進む少女の年の頃は10歳に届くか届かないかといったところか。
可愛らしい顔立ちをした少女とすれ違うたび、村人は親しげな挨拶を贈り、
旅人は辺鄙な村に珍しい、街の薫りのする鮮やかな色合いの衣装とそれに負けない容姿に目を見張る。
あの少女は誰かと旅人が問えば、村人は少し誇らしそうに答えてくれる。
この村の誰もが名を知っているであろうその少女の名前をミルファーシカという。
このさほど大きくは無いが程ほどに栄えているサライの村の村長が、目に入れても痛くないほどに可愛がっている大事な大事な一人娘。
この村の村長は村の経営に熱心で正直者、上の者に有り勝ちな偉そうで悪どい所が無く、村の皆に慕われている。
故に、その娘であるミルファーシカも父親と同様に村人達から愛されていた。
「おや、ミル嬢ちゃん。そんなに急いでどこへ行くね?」
そんな声をかけた村の男に、少女はにっこり笑って答える。
「村の近くで銀色の狼を見たって話を聞いたの。見かけたのはついさっきなんですって。
銀の狼は雷砂の守り神でしょう?きっと雷砂が薬師のサイ・クー老師の所にいるはずよ。だから、急いで会いに行くの」
早口で答えて、少しの時間も惜しいというようにあっという間に小さな姿は人ごみにまぎれて見えなくなった。
雷砂という名前を聞いて男は微笑み、周りで聞いていた村人も暖かい表情で村はずれへ向かう少女を見送る。
村長の娘が、獣人の一部族の庇護の下育った雷砂という子供にとても懐いていると言う事は周知の事実だった。
雷砂の姿を見つけるたびに、まるで飼い主を見つけた子犬のように走っていくミルファーシカの姿はもう日常的な事になっている。
金色の髪に色違いの瞳、凛々しく整った顔立ちの雷砂と、
人形のように愛らしい容姿のミルファーシカが並んで歩く姿は何とも似合いの一対で、それを見る者の心を和ませた。
雷砂が見た目通りの『少年』であればどれほど可愛らしいカップルが誕生したことだろうと、
村の誰もが残念に思っていることを、当の本人である雷砂とミルだけが知らずにいる。
今日のサライもいたって平和だった。
これから起こる恐ろしい出来事を、まだ誰も知らない。
「サイ老師!!」
入り口の扉を跳ね除けるようにして駆け込んできた少女を、サライ唯一の薬師であるサイ・クーは大した驚きも見せずに、微笑さえ浮かべて迎えた。
「おやおや、今日も元気じゃのう。ほれ、ミル嬢ちゃん。一息ついて、この爺の入れた茶でも飲みなされ」
見事な白髪と長い髭の優しげな老人は、ニコニコしながら緑色のドロッとした液体の入った茶碗を差し出す。
それを見て、嫌そうな顔になるミルファーシカ。
だが、走り続けて来たせいでいい加減喉の渇きも限界を迎えていた。
体はこれでもかと言うくらいに水分を欲している。
ゴクリと喉を鳴らして、恐る恐るサイ・クーの持つ茶碗に顔を近づけた。
極悪な見た目とは裏腹にそれほど嫌なにおいはしない。
むしろ爽やかな、胸がスーッとするような香りがして、ミルは菫色の瞳をまんまるくする。
そんな少女の様子があまりに可愛くておかしくて、老人は堪え切れずにホッホッホッと声を上げて笑った。
「なによぅ。そんなに笑わなくてもいいじゃない。仕方ないでしょ。ドロドロしてて、お話に出てくる毒薬みたいなんだもの」
そう言って、可愛らしいふくれ面を披露する。
サイ・クーはそんな少女をなだめる様に言葉を紡いだ。笑った拍子に目元に滲んだ涙をそっと拭いながら。
「この爺が大好きなミル嬢ちゃんに毒を盛るはずが無かろうが。
わしの配合した、疲れが取れてすっきりする薬草茶じゃよ。ほれ、だまされたと思って飲んでみぃ。疲れがすっきりとれるぞい」
「疲れが?本当??」
好奇心旺盛な本来の性格が顔を出し、ミルは恐る恐る得体の知れない液体入りの茶碗を受け取った。
もう一度、そっと匂いをかいでみる。
まずそうな匂いではない。
むしろ美味しそうな匂いだと感じた。
ニコニコした老爺と茶碗の中身を見比べ、しばしの逡巡。
「新鮮な薬草じゃから、きっとうまいぞ?なにせ、雷砂が朝採りしてきた薬草を使っておるからの」
「雷砂が採ってきたの!?」
パッと少女の表情が輝く。
そして次の瞬間には、茶碗の中身は飲み干されていた。
爽やかな味がする液体だった。
少し青臭い感じもしたが、雷砂が手ずから摘んだ薬草だと思えばちっとも気にならなかった。
傍らで再び笑い声を上げている老人の様子もまるで気にならない。
気になる事はただ一つ。
「雷砂が来てたの?もう行っちゃった?どのくらい前にここを出たの?」
「そうさの。そう遠くには行っておらんとは思うが」
矢次早な問いかけに惑うことなく、さらりと答えを返す。その答えを聞くや否やー。
「ありがとう!!!探してみる!!!!」
答える間も惜しむような返答を残し、少女は外へと飛び出していった。恐ろしいほどの勢いで。
その後姿を見送り、しばらくしてー。
老爺はよっこらせと立ち上がり、狭い店の奥にある大きな甕に向かって声をかけた。
「もう大丈夫じゃろ。出ておいで」
その声に答える様に甕の広い口から2本の手が伸びる。
その手は甕の口を掴んで、軽々と己の体を甕の中から外へと連れ出した。
小さなその身の丈を優に超える大きさの甕であったが、やはりじっとしていることは窮屈だったのだろう。
大きく伸びをして、金色の髪の凛々しい少年……いや、少女は、サイ・クーの方へ向き直り、にっこりと笑った。
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