maruの徒然雑記帳


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龍は暁に啼く


第三章 第一話






 風が再び草原を駆けた。雷砂の黄金の髪を巻き上げ、通り過ぎていく。


 「雷砂?」


 名前を呼ぶ養い親の声。

 その声に導かれるように心が現在(いま)へ戻ってくる。

 目の前で、少し心配そうにしている人の顔を見上げ、ゆっくりと瞬きを一つ。

 そうする間にやっと心が追いついてきた。


 「シンファ」


 目の前の人の名前を呼ぶ。

 大好きな、大切な人の名前。

 その声を聞いて、ほっとしたようにその人は微笑んだ。


 「あんまりボーっとしてるから心配したぞ?心をどこへ飛ばしていた?」


 そう問われて苦笑い。素直に答えを返す。


 「昔を思い出していたんだ。シンファと初めて会った日の事」

 「あぁ、あの時の事か。あの時は肝を冷やしたぞ。

 何せ、まだ幼い子供がたった一人、大人でも忌避するような危険な場所に置き去りにされていたんだからな。ま、頼もしいボディーガードはついていたがな」


 悪戯っぽく笑って、雷砂の傍らに寝そべる狼を見た。

 ロウは、我関せずとばかりに昼寝を決め込んでいる。

 雷砂はそんな親友の毛皮に手を滑らせ、目を細めた。

 雄々しく美しいこの親友は、いつでも雷砂を守り、その孤独を癒してくれる。

 シンファは雷砂を愛し、大切にしてくれたけれど、彼女には彼女のやるべき事があり、決して暇な身の上では無かった。

 特に2年前から雷砂が部族の集落を離れ、別の住処に身を置くようになってからは、1週間に1度会えればいいほうだった。

 それでも、彼女は可能な限り雷砂に会いにきてくれたし、彼女が精一杯の努力をしてくれている事も分かっていた。

 自分がそれに甘えているのだということも。


 会いたいのなら自分から会いに行けばいい。

 だが、雷砂は何時もそうしない。

 会いたいと思っても、集落へ自ら足を運ぶのは数えるほど。よほどの用事が出来た時だけ。

 後はただ待っていた。

 彼女が雷砂に会いたいと感じ、実際に会いに来てくれるのを、日々の生活を続けながら待ち焦がれるようにただじっと。


 会いに来てくれたシンファの瞳が雷砂を見つけ、「元気にしてたか?」そう微笑んでくれた瞬間、雷砂はたとえようも無く嬉しくなるのだ。

 まっすぐに向けられる彼女の愛情を感じて。

 それは己が彼女をどれだけ愛しているのかを再確認できる瞬間でもあった。

 目に見えない愛情を量るようなその行為は、本当は良くないものだと分かっている。

 会いたいと思うのなら素直に会いに行くほうがよほど素直で好ましい行為だと言う事も。


 −でも、分かっているのと出来るのとでは、まったく別問題なんだよなぁ……。


 声に出さずにつぶやいて、口元に思わず苦笑を刻む。

 そんな主人に気がついたのだろう。しっとりと濡れた鼻面が雷砂の手に寄せられる。

 忠実な瞳が雷砂の顔を見上げていた。


 一人で暮らすことにも、一人の時を過ごすことにもすっかり慣れた。

 それでも時折、ふっと一人でいる事が辛くなる時もある。

 そんな時はいつもロウが傍にいてくれた。

 いつでも、たとえ姿が見えずとも、雷砂に何かあれば瞬時に駆けつけてくれる、忠実で絶対的な守護者。

 大切な、友達。


 ロウがいると寂しさが紛れ、一人でいることも怖くない。

 だからつい、人に交わるのを避けて通るようになってしまった。

 必要以上に深く関わらないように距離をとる事に慣れてしまった。

 シンファの部族とも、雷砂を受け入れ、親切にしてくれるサライの村人達とも。


 「雷砂、たまには集落に顔を見せろ。部族の連中はお前に新しい技を教えてやろうと待ち構えているし、お前がくれば叔父上も喜ぶ」


 雷砂の声に出さない思いを見透かしたようなその言葉に、少しドキッとしてシンファの顔を見上げた。

 彼女の目は遠くを見ていた。

 草原の先の、彼女の仲間が住まう場所を見ているかのように。

 真剣な、少し厳しい眼差し。

 彼女の脳裏に浮かぶ面影はきっと……。


 「……そんなに悪いのか?親父殿の病は」


 親父殿とは、シンファの叔父であり、ライガの族長でもあるジルヴァンの事。

 本人の要望もあり、雷砂は彼をそう呼ぶ。

 父親を知らない雷砂にとって、父と呼べる相手は彼だけだった。

 その彼が病に侵されたのはちょうど1年前。

 病は、不治の病と呼べる類のものだった。


 それを知った日から、雷砂は草原に自生する薬草を集める事を生業とするようになった。

 不治と呼ばれる病ではあったが、その進行を遅らせる事の出来る薬草があることを知ったからだ。

 ただ、その薬草は希少で、自生する場所も限られている。

 この草原にはわずかではあるが、その薬草を見つけることが出来た。

 だが、その薬草もさすがに冬にはその姿を消し、サライの村の薬草売りの老爺の手元にあるものを買い付けてはいたが、その量にも限りがあり……。


 雷砂は春が来るのを今か今かと待ち侘びていた。

 冬が明け、やっと空気が柔らかさを増し、日差しも暖かくなってきた。

 草原の緑も、新しい芽を伸ばし始め、数日後に控えたサライの春祭りの頃には、その薬草も採取出来るくらいの丈になるだろうと毎日様子を見ながら待っていた。

 冬の終わりの1ヶ月程、煎じた物ですら手に入れられず、不安と焦りにジリジリしながら。


 「お前が用意してくれていた薬で一時は落ち着いていたのだが、数日前に倒れてな。それ以来寝込んでいる。

 今日、出掛けにくれぐれも雷砂に悟られるなとうるさく言われてきたばかりだったが、お前に隠し事はやはり無理だったな」

 「そうか……。親父殿も意地っ張りだからな。薬が切れたのはいつ頃?」

 「最後に届けてもらったのが確か一月ほど前だったな?一日に飲む回数を減らしながら飲みつないでいたようだったが、ここ一週間ほどは飲んでいないと思う」


 薬効の強い薬だが、確かな効果を狙うのなら日に三度は飲む必要がある。

 それを日に一度に減らしていた上に、一週間薬を飲んでいないとすれば、体の中の病魔が目を覚まして活動を始めてもおかしくない頃だった。

 我慢強い族長の性格を考えると、症状や痛みはかなり強いのだろうと容易に想像できる。

 なにせ普段であれば骨の一本や二本折っていても平気で動き回るような男なのだ。

 その彼が動かずにじっとしていなければどうにも耐えられないくらいにその病状は重いのだろう。


 どうにかしないとー唇をかみ締め、考える。

 そしてふと、ある考えが頭に浮かんだ。

 ジルヴァンの病に効く薬草は、この草原ではまだ芽吹いたばかりだが、もっと南の土地ならばもう採取されている可能性があるかもしれない。

 そうであれば、それがもうサライに入ってきているのではないだろうか、と。

 顔を上げ、シンファを見上げた。


 「用事を思い出したから、サライに行って来る。シンファはもう出発するの?」

 「いや。もう一度、叔父上の顔を見て、荷物を準備してからだから、出発までにはもう少しかかりそうだ。日が大地に沈む前には出たいと思っているが」

 「そうか。なら、後で見送りに行く。親父殿の様子も気になるし。なるべく急ぐから、その……」


 待っててくれの一言が中々言い出せずに口ごもる。

 シンファには雷砂の見送りを待つ義理など無いのに、我侭を押し付けているようなそんな気持ちがして。

 だが、彼女にはそんな雷砂の心の動きなど全てお見通しなのだろう。

 にこりと笑って雷砂の細い体を抱き寄せた。


 「急がなくていい。気をつけて、ゆっくり来い。お前が見送りに来てくれるのを、ちゃんと待っているから」


 優しい言葉。

 雷砂は養い親の体をそっと抱き返して、それから体を離し、背伸びをしてその頬に唇を寄せた。

 シンファは、養い子からのめったに無い貴重な愛情表現に一瞬目を丸くし、それから嬉しそうに笑った。

 雷砂も笑い返し、


 「それじゃ、行って来る。待ってて。親父殿と一緒に」

 「あぁ。慌てすぎて転ぶんじゃないぞ。草原の獣に気をつけて帰って来い」


 その答えを受けて頷く。

 子供扱いされるのは嫌いだが、その相手がシンファであれば不快感は無い。

 むしろ、くすぐったいような嬉しさを感じながら、雷砂は草を蹴り駆け出した。

 子供の足とは思えないほどの速さで離れて行く頼りない背中。

 その後ろを付かず離れず、銀の獣が小さな主を守るように付き従う。

 シンファは草原に一人立ち、一人と一匹の姿が豆粒のような点になって見えなくなるまで、じっと見守っていた。

 いとし子の成長を嬉しく、そして少し寂しくも感じながら。

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